日本では、明治時代の1880年代から文献で紹介されているミレー。農業国だった日本では共感されやすいのか、官民の美術館で作品が蒐集され、現在では世界でもまれにみる「ミレー愛好国」になりました。
確かに、それまでの絵画では主題になりえなかった「労働する農民の姿」を抒情豊かに描いたのはミレーの功績ですが、「農民画」だけでミレーを語るのは、あまりにも一面的。本展では家族の肖像や馴染みの風景などの作品も通して、ミレーの全貌を再検証する試みです。
展覧会は4章構成。第1章の「プロローグ 形成期」では、若き日のミレーの作品を紹介します。模写や裸体の習作、歴史・宗教画、風俗画、風景画など、さまざまのジャンルを手掛けていた事が分かります。
第1章「プロローグ 形成期」第2章は「自画像・肖像画」。ミレーが農民画に専念する前に職業として肖像画を手掛けていた事は知られていますが、生涯に描いた120数点のうち、生活のために描いたものは半数未満。妻や家族、友人、隣人など、親しい人々を数多く描いているのです。
本展には最愛の妻、ポーリーヌの肖像が3点も出展。きりっとした口元と大きな瞳が印象的な女性ですが、どことなく弱々しい雰囲気も。それもそのはず、ポーリーヌは結婚後3年足らずで、肺結核のために病死してしまいます。
リラックスしてパイプを持つ男性を描いたのは《アマン・オノの肖像(パイプを持つ男)》。モデルは義弟(ポーリーヌの弟)で、19世紀フランス肖像画の最高傑作のひとつとも称される逸品です。
第2章「自画像・肖像画」 動画の最後が《アマン・オノの肖像(パイプを持つ男)》第3章は「家庭・生活」。8人きょうだいの長男として育ち、自身は3男6女をを育てたミレーは、家族をとても大切にする画家でした。この章には、家族の日常生活を描いた作品が並びます。
展覧会のメインビジュアルは《子どもたちに食事を与える女(ついばみ)》。口を前に出した子どもはとても愛らしく、まるでひな鳥が親鳥から餌を与えられているかのようです。よく見ると、絵の右手奥には畑を耕している男性の姿も。家族を養うために懸命に働く父親は、自らの姿を投影しています。
第3章「家庭・生活」第4章は「大地・自然」。いわゆる「ミレーらしい」絵はこの章です。
実はミレーは農村出身ですが、19歳で画家の修行を始めて以降は農業をした記録がなく、いわば「農業を捨てた都会人」。もちろん自然を愛し、そこに暮らす人の営みに共感していたのは事実で、ルソーとともに、フォンテーヌブローの森の伐採にも反対しています。
ミレーには珍しく神話を題材にした四季の連作《春(ダフニスとクロエ)》《冬(凍えたキューピット)》も。雛の口元にそっと餌を運ぶ少女、寒さに凍えるキューピットを優しく抱きしめる女性。慈愛に満ちた人物表現は、ミレーの真骨頂です
会場最後で紹介される晩年の作品は、故郷の風景画。バルビゾンで過ごしながらも、ミレーは故郷を強く想い続けていました。
第4章「大地・自然」山梨県立美術館から巡回してきた本展、
府中市美術館の後は、
宮城県美術館に巡回します(2014年11月1日~12月14日)
また、ミレー・メモリアルの本年は、この展覧会とは別に
三菱一号美術館でも「ボストン美術館 ミレー展」が開催されます(10月17日~2015年1月12日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年9月18日 ]■生誕200年 ミレー展 府中市美術館 に関するツイート