水野年方から絵の手ほどきを受けた鏑木清方。さらに遡ると月岡芳年、歌川国芳へと連なりますが、師匠筋にみられる"奇想系"ではなく、たおやかで粋な美人画を得意にしました。
清方の作品を思い浮かべながら会場に入ると、派手な作風にちょっと驚くかもしれません。刃物を手にした荒くれ男は、東京日々新聞の第一号(絵は落合芳幾)。東京日々新聞は、清方の父である條野採菊が創刊しました(新聞では「山々亭有人」名で詞書を手がけています)。
序章では、師である水野年方の作品をはじめ、若き清方の身近にあった作品を紹介します。
序章展覧会は二章構成。一章「清方の画業をたどる ─ 江戸へのまなざしから ─ 」が、さらに時代順で六節に分かれています。
一節「最初期の肉筆画」には、若き日の清方が画友とともに描いた肉筆回覧誌など。もちろん後年の美人画には及ばぬものの、短期間での画力の向上には驚かされます。
二節は「挿絵画家として立つ」。徐々に年方の後継者として認められていった清方は、当時の代表的な文芸誌「新小説」と「文藝倶楽部」にも口絵が掲載されるようになり、挿絵画家として評価が定まります。またこの頃、泉鏡花と出会い、互いに認め合いながら作品をつくっていきます。
一章 一節「最初期の肉筆画」、二節「挿絵画家として立つ」三節は「浮世絵の発見」。本画への進出を志すようになった清方が手本にしたのが、江戸時代の浮世絵でした。勝川春草や鳥文斎栄之らの肉筆浮世絵に心酔。その線描の質の高さを称賛します。
四節は「展覧会という舞台へ」。清方は明治42年に文展に初入選。以後も次々に入選を重ね、名実ともに日本画の大家としての地位を確立させていきます。
一章 三節「浮世絵の発見」、四節「展覧会という舞台へ」五節は「清方美人の成熟」。官展の代表作家となった清方ですが、実は官展向けの大作は好みではなく、画帖や挿絵などの「卓上芸術」に価値を見出していました。さらに、時局も悪化。美人画の出番は少なくなっていきますが、清方は献納画を手掛けながらも、心はますます美人画を追及していきました。
六節は「戦後」。疎開先の御殿場で終戦を迎え、黒い羽織をたたむ美人画の《春雪》を制作。この絵から、清方の戦後は始まりました。晩年は鎌倉で生活し、旧宅跡は
鎌倉市鏑木清方記念美術館として公開されています。
一章 五節「清方美人の成熟」、六節「戦後」二章は「清方と江戸をめぐる三題」。一章で見てきたように、清方がその画業において理想郷としていたのは江戸の浮世絵でした。美人の表現だけでなく、浮世絵に描かれた江戸時代の人々にも深く共鳴し、その心情までも作品の中に取り込もうとしました。
そしてもうひとつ、清方が愛した原風景は、幼時を過ごした明治の東京下町でした。とりわけ戦後の作品には、明治期の東京の風景がしばしば描かれるようになります。過去の面影が消えてゆく東京を前に、清方の過去への憧憬は深く募っていったのです。
この章は「物語る絵 ─ 卓上芸術」「理想郷としての江戸」「理想郷としての明治」の三節で、清方と江戸の関係をひもときます。
二章「清方と江戸をめぐる三題」本展は
千葉市美術館の7階で開催。8階では近年の収集作品から未紹介作品を中心に関連作品も含めて紹介する「新収蔵作品展 七つ星 — 近年の収蔵作家たち —」も同時開催中です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年9月15日 ]