江戸時代には北信濃の経済の中心地だった小布施。北斎は小布施の豪商・豪農だった高井鴻山(たかいこうざん:1806~1883)と出会い、後に小布施に招かれました。初めて小布施に行ったのは、実に北斎が83歳の時。以降4度にわたり、この地を訪れています。
かなり年齢が違うふたりですが、「旦那さま」「先生」と呼び合い意気投合。贅沢を禁じる天保の改革の世において、北斎はこの地で伸び伸びと制作に励んだと思われます。
北斎館は1976(昭和51)年の開館。リニューアルは開館40周年を前にした記念事業で、新館を増築して本館を改修し、一体化。展示面積が1.7倍となる新北斎館が誕生しました。
新しくなった北斎館新しくなった館内は、映像ホールに続いて第一展示室に進む動線です。オープニング記念の展覧会は「新館落成記念・北斎とその弟子たち ― 北斎絵画創作の秘密 ―」、スタジオジブリが企画に協力しました。
まずは「冨嶽三十六景」全46点(冨嶽三十六景は好評だったため後に10点が追加制作され、計46点あります)を「構図」「風俗」「風景」「気象」に分けて展示するなど、版画から紹介。「諸国滝廻り」や「百物語」など、他の人気シリーズもお楽しみいただけます。
第一展示室第二展示室は肉筆画。今回は門人の作品が紹介されています。
北斎の門人は、葛飾派の双璧である魚屋北渓(ととやほっけい)、蹄斎北馬(ていさいほくば)など、孫弟子を含めて230名以上という大勢力。その中には葛飾応為(かつしかおうい)こと、娘のお栄も含まれています。
あまり確認されていない応為の作品ですが、ここでは2作品を紹介。別に書簡も2点展示されています。
絵の手本を所望する人に宛てた手紙は、(絵師なのであたり前ですが)達者なイラスト入り。「えんじ色」の顔料を作るには、綿に含ませた生臙脂(しょうえんじ:紅色の染料)を揉んで細かく落とし、皿に入れて弱火で温めて…と、まるでレシピのようです。
第二展示室第三展示室も肉筆画で、ここは北斎の作品が中心。美人画、風景画、花鳥画とジャンルは多彩です。
《富士越龍》は、富士にたちのぼる雲の中を龍が天に向かう作品です。「九十老人卍筆」と添えられた落款から、最晩年の作品のひとつと考えられています。
ちなみに北斎は辰年生まれ。龍を描いた作品が多いのは、そのせいかもしれません。
第三展示室最後の第四展示室には、鮮やかな祭屋台が2台。「東町祭屋台」と「上町祭屋台」で、それぞれの天井画を北斎が手掛けました。
東町祭屋台の天井は、画面いっぱいに踊るような龍と鳳凰。上町祭屋台の天井は、神奈川沖浪裏を思わせる男浪と女浪。85歳と86歳の時に手掛けた作品ですが、エネルギッシュな描写が印象的です。
上町祭屋台を飾る水滸伝にちなんだ木像も、北斎が監修。こちらは名工・亀原和田四郎に七度も作り直させたといういわくつきです。
第四展示室展覧会でも紹介されている北斎の娘、お栄(画号は葛飾応為)が主人公の長編アニメーション映画「百日紅 ~ Miss HOKUSAI ~」の公開(5月9日から全国ロードショー)も控え、内覧会では映画を制作したプロダクション I.Gの石川光久さんと、スタジオジブリの鈴木敏夫さん、小布施堂社長の市村次夫さんによるトークショーも開催されました。
長野市の北に隣接する小布施町は、長野県最小の町。68歳の北斎が21畳の天井画を手掛けた「岩松院」、日本画家・中島千波の作品を紹介する「おぶせミュージアム・中島千波館」など、観光施設も充実。七年に一度の善光寺御開帳期間(4月5日~5月31日)に合わせて、長野駅から善光寺と北斎館を結ぶシャトルバスも運行されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月3日 ]■小布施 北斎館 に関するツイート