明治時代に住友グループを大きく発展させた、住友家15代当主の住友春翠。春翠は私邸に西洋画を飾るなど、芸術を愛する文化人でもありました。
若手芸術家を支援していた春翠は、渡仏中の洋画家・鹿子木孟郎を金銭面で援助。鹿子木も研鑽を積む傍らで、春翠の依頼を受けて西洋絵画を買い集めました。
鹿子木はパリでアカデミズムの画家から学んでいたため、鹿子木が集めた絵画はアカデミー派に属する作品が多く見られます。
展覧会の第1章は「19世紀フランスアカデミズムと自然主義の台頭」。古典的スタイルのミューズ(女神)を描いたギヨーム・セニャックも、ブーグローらに学んだアカデミズムの画家です。
第1章「19世紀フランスアカデミズムと自然主義の台頭」ひときわ目をひく大きな作品は、鹿子木の師であったジャン=ポール・ローランスによる《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》。ローランスはフランス アカデミズムの中心的な画家のひとりで、特に歴史画で高い評価を得ていました。
フランスの猛将ながら、27歳で敵弾に斃れたマルソー将軍。210×300cmの大画面で、悲嘆にくれる人々をドラマチックに描いています。
ジャン=ポール・ローランス《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》一方で当時の画壇で存在感を増していたのが、印象派。春翠自身も1897年に渡欧した際にパリでモネの作品2点を購入するなど、新しい潮流であった印象派にも理解を示していました。
その2点のモネは、第2章「印象派へ、印象派から」で紹介。この2点は、日本に入ってきたモネの作品としては最初期にあたる記念碑的な作品です。
楕円形のキャンバスに裸婦を描いたのは、アマン=ジャン。フランスでとても人気があったアマン=ジャンは日本との関係も深く、大原孫三郎(大原美術館の創設者)が児島虎次郎を通じて最初に入手したのも、アマン=ジャンの作品です。
第2章「印象派へ、印象派から」企画展の流れから外れますが、展示室の最後にはちょっと変わった特集展示があります。展示されているのは住友コレクションの西洋絵画ではありますが、画面に画家のサインなどが無く、作者がはっきりとしません。
ただ、住友家の邸宅に久しく掛けられていた良品で、いわば「無印良画」。作風から判断するに19世紀以前のものもあると思われています。
特集展示「住友コレクションの無印良画「 ── こんな泰西名画もありました」春翠は買い集めた洋画を、兵庫県須磨に建築した別邸に飾っていました。モネの2点をはじめ、黒田清輝の《朝妝》などが掛けられた邸宅は美術館のような趣きでしたが、1945年6月の空襲で被災。幸いモネは架け替えられていたため無事でしたが、《朝妝》など約40点は焼失してしまいました。
なお展覧会は、第3章「フォーヴィスムとエコール・ド・パリの時代」、第4章「フランスの現代作家たち」と続きます。ルオー、ピカソ、ユトリロ、ローランサン、シャガール、ミロ、ビュフェなどの作品も紹介されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年5月29日 ]