1900~1940年代の豪華客船時代、客船は海外に出られる唯一の手段でした。各国は国力を示威するように客船の建造を進め、巨大さ、速さとともに、その豪華さも競っていました。
開国した日本は、徐々にこの分野でも西欧に追いついていくとともに、わが国ならではの意匠が模索されます。その結果、当時流行していたアール・デコを軸にしながら、あえて日本の伝統工芸や意匠を付け加えた「現代日本様式」という日本独自の様式が確立されました。
漆工芸や甲冑、兜、刀、ふすま、障子など、意匠で「日本」をアピールするこの手法は、ややもするとアンバランスに思えますが、「動く国土」と称されていた豪華客船には相応しいデザインでもあったのです。
本展の会場である横浜の
日本郵船歴史博物館には、初公開のカラースキーム(デザイン画)をはじめ、図面、写真、実物の家具などが展示されています。
展覧会会場そのような客船のインテリアに、日本の有名建築家が数多く関わっていたことは、あまり知られていません。国威を最大限に発揚させるためには、名だたる建築家の力が必要だったのです。
現代日本様式の生みの親である中村順平はもとより、久米権九郎(久米設計の創設者)、松田軍平(松田平田設計の創設者)、村野藤吾、前川國男…。さらには、数奇屋建築を近代化した吉田五十八や、前川事務所にいた若き日の丹下健三も客船インテリアの設計に関わっています。
展示された資料は、もちろん、現在の感性に沿ったデザインとは言えないものもありますが、威信をかけた国の戦いに意匠で参戦できたことは、建築家にとっては名誉あることだったのかもしれません。
展覧会会場華やかな豪華客船時代も、太平洋戦争とともに終焉を迎えます。前川國男と丹下健三が1等プール、中村順平が1等社交室、久米権九郎が1等読書室を担当した橿原丸は、日本客船史上最高の優秀客船になるはずでしたが、就航することなく空母隼鷹に改造。その他の客船も戦火に苛まれ、多くは海の藻屑と消えていきました。
博物館常設展示日本郵船歴史博物館は、2003年の開館。建物は1936年に日本郵船株式会社の横浜支店として建てられたもので、アメリカ古典主義様式の堂々とした外観は海岸通りのシンボル的存在です。
常設展では9つのコーナーで日本郵船の社史を紹介。岩崎弥太郎による創設、大戦での壊滅、戦後の復興と現在の姿まで、随所にある模型や映像で楽しく見ることがてきます。
エントランス左手にあるミュージアムショップの利用は無料です。今回の企画展の図録(300円)をはじめ、船の模型から「郵船式ドライカリー」(レトルトパックのドライカレー)まで、さまざまなオリジナルグッズを扱っています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2011年9月8日 ]