会場では5人の作家をひとりづつ紹介、まず高森明(1929-)からです。
函館で魚商店に生まれた高森。少年時代に北海道新聞の似顔絵コンテストで一等となった事をきっかけに、絵の道を求めて上京。当初から府中に居を構え、現在まで府中在住です(5人のうち、高森だけが現役の作家です)。
長く独立美術協会で活躍している高森。会場には家業で馴染み深い魚をテーマにした静物画や、大きく形が歪んだ風景画などが並びます。近年取り組んでいるのは、沈んだ色彩の裸婦像。どっしりとした腰まわりに、強い生命力が宿ります。
高森明の作品続いて香川・小豆島出身の大森朔衞(1919-2001)。召集されたスマトラ島で敗戦の報を受け自決を図りましたが、戦友の発見で一命をとりとめたという壮絶な過去を持っています。過酷な人生の運命に対し、むしろ飄々とした詩的世界を構築した大森の創造力もまた、強い魂の炎といえるだろう。
復員したものの、それまでの作品は戦災で焼失。一から再出発を図り、行動美術協会などで作品を発表。武蔵野美術大学でも教鞭をふるい、20年に渡って多くの学生を指導しました。府中には結婚を期に転居。その後は生涯にわたって府中に住み続け、府中市美術館が建設される際にも美術館建設検討委員会で活躍しました。
「具象と抽象の間を行ったり来たりしながら制作している」と言う大森。表現は誌的で穏やかですが、強固な意志も感じます。
大森朔衞の作品戸嶋靖昌(1934-2006)は、武蔵野美術学校(現武蔵野美術館大学)で麻生三郎らに師事。40代でスペインに渡り、約四半世紀を過ごした後に、帰国後は府中市に隣接する稲城市で制作しました。
知名度が高いとはいえない戸嶋ですが、キャンバスに塗り込められたような人物像は、強烈な存在感。黒い塊の中から滲むように迫ってきます。戸嶋は食には興味が無く、素うどんばかりを食べていたという変わったエピソードも伝わります。
戸嶋靖昌の作品保多棟人(1947-1981)も麻生三郎の門下。肉体を温かくとらえた自画像や裸婦、土地開発の凶暴さを暴く風景画、そして現在も府中に残る砂利採掘場などに非凡な才能を発揮しましたが、海難事故のため33歳で夭折。残された作品は多くありません。
保多は、多摩市にある天然記念物「平久保(ビリクボ)の椎」を繰り返し描いています。風を孕むと大きく揺れながらも、堂々とそこに在る巨木。セザンヌが繰り返し描いた山に例え、友人には「おれのサント・ヴィクトワール山だ」と紹介していたそうです。「生命が噴水のように吹き上げらる巨木のたくましさ」を感じます。
保多棟人の作品反町博彦(1911-2009)は高崎市出身。上京後、川端画学校・多摩造形専門学校で学び、光風会展で活躍しました。府中では戦後すぐに油彩画創作の若葉会を設立。府中市民への油彩画指導に注力しました。
個性的な尖った筆線で、画面を構成していく反町。後年はかなり視力が衰えましたが、スポットライトをキャンバスに近づけて描き続け、ハンデキャップを感じさせない作品を晩年まで描きました。
反町博彦の作品今回の5人はいずれも油画家。鉱物を原料とした油絵具は長期にわたって色が変わらず、厚塗りも薄塗りも自在。「魂の炎」をぶつけるには最適な画材です。海外の著名作家でなくとも、画布に迸る情熱に偽りはありません。「絵の具だけで絵は描けない。炎のような画家の個性的な情熱が必要」。5つの個性をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年6月11日 ]