速水御舟といえば、2点の重要文化財を所蔵する
山種美術館が頭に浮かぶ方も多いはず。山種では時おり作品が紹介されますが、実は公立美術館での大規模回顧展はあまり開催されていません(1980年の
京都国立近代美術館、2008年の
平塚市美術館のみ)。評価が高い事もあって多くの作品を一堂に集める事はなかなか難しく、本展は貴重な機会となりました。
後期展では、展覧会メインビジュアルの《菊花図》が会場の冒頭で展示されています。御舟が27歳で描き、写実的な表現はデューラーや中国の宋代院体画からの影響を受けたものです。隣で紹介されている大作《女二題 其一・其二》も含め、会場には下絵やスケッチも紹介されているので、創作の過程も楽しむ事ができます。
《菊花図》と《女二題 其一・其二》御舟は浅草生まれ、14歳で生家の筋向いにあった安雅堂画塾に入門しました。師の松本楓湖は歴史画の大家ですが、塾には後に日本画の革新を進めた今村紫紅や、ライバルとなった小茂田青樹など、先進的な顔ぶれが揃っていました。
1914年に今村紫紅が安雅堂画塾の若手メンバーを集めて立ち上げたのが「赤曜会」、御舟や青樹も参加しました。赤地に黒で「悪」と印したバッジを付け、印象派を真似て戸外で写生するなど、伝統にとらわれずに活動しましたが、発足後約1年でリーダーの今村紫紅が35歳で急死。赤曜会は解散してしまいます。
第1章「安雅堂画塾—師・松本楓湖と兄弟子・今村紫紅との出会い」、第2章「赤曜会—紫紅と院展目黒派」赤曜会の解散後も、新しい日本画に挑み続けた御舟。同じように新たな表現を求めていたのが小茂田青樹でした。
小茂田青樹は御舟より3歳年長ですが、安雅堂画塾に入門したのは奇しくも同日(御舟が午前、青樹は午後でした)。互いに刺激しあう存在でしたが、青樹は咽頭結核のため1933年に41歳で早世。2年後に御舟も腸チフスのため40歳で亡くなっています。
第3章では御舟と青樹を対峙させるように紹介。猫、菖蒲と燕子花、朝顔など、同じテーマで描いた両者の画風を比べてお楽しみください。
第3章「速水御舟と小茂田青樹」御舟は制作に専念するために弟子を取らない主義でしたが、デッサンと古画模写の研究会を開催し、若手の育成にも情熱を注いでしました。
第4章では二人の愛弟子を取り上げました。ひとり目が高橋周桑。御舟の画集と評を見て感激し、入門を切望。あまりの熱心さに御舟が根負けして、一番弟子にしました。
もう一人は吉田善彦。金箔を使った独自の「吉田様式」を確立した善彦は、御舟の弟子であると同時に、姻戚関係もありました(御舟の妻が善彦の従姉)。また、善彦は世田谷区在住で、1998年に
世田谷美術館で回顧展を開催。この展覧会の成功が、今回の御舟展のきっかけにもなりました。
第4章「御舟一門 高橋周桑と吉田善彦」から、高橋周桑の作品すでに後期に入っているため、会期末まで残り僅か。
山種美術館で6月27日から始まる「前田青邨と日本美術院 ―大観・古径・御舟―」展では、速水御舟による重要文化財《炎舞》が2年ぶりに特別公開されますので、山種の前に、セタビへどうぞ。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年6月12日 ]