江戸時代の中ごろに池大雅や与謝蕪村によって大成した日本の文人画。江戸時代後期に大きく発展し、その代表的な人物のひとりが田能村竹田です。
出光美術館は数多くの竹田作品を所蔵、特に円熟期の山水画が充実しています。本展も最初に竹田の代表的な山水画を展示し、精巧な筆さばきを紹介しています。
本展の特徴が、作品脇の拡大画像。例えば《春隄夜月図》なら、まず解説を読んだ後に、拡大画像でポイントとなる「堤」と「邸内」をチェック。その後に実物を見る事で鑑賞のツボが理解できる、という流れです。
順に、重要文化財《梅花書屋図》》と《春隄夜月図》拡大画像は作品と同じ壁面では無く、手前のガラス面につけたのもポイント。作品に近寄って鑑賞すると拡大画像が視線に入らないので、集中して作品の世界に没入できます。
「文人画はちょっと…」という方が良く指摘するのが、画中に書かれている漢詩(賛文)が読めない、という事。そこで本展では釈文+訓読+大意の解説パネルも随所に設置されています。賛の意味を追いながら作品を見る事で、竹田の芸術観に近寄る事ができるのです。
《琵琶行図》田能村竹田は豊後の藩医の家に生まれましたが、儒者として藩の仕事に従事。現実と政治との矛盾に気づいて37歳で隠居し、望んでいた「文人」としての人生を歩みました。
竹田の生涯は、旅とともにありました。25歳で江戸に向かったのをはじめ、九州各所や大坂、京都へ。尾道、宮島、兵庫などにも出向き、旅先では友人たちと交流を深めました。
旅先で多くの作品を描いた竹田。画帖に描かれたスケッチや、軽いタッチの掛け軸、書と画を貼り交ぜた屏風など、その作品は「みっちりとした描き込み」だけでは無い事も分かります。
2章~4章会場最後には、他の日本人文人画家の作品も紹介されています。
色彩表現が豊かだった池大雅。竹田は大雅の遺風を慕っており、花鳥画などにその感覚が活かされています。
逆に竹田が評価していなかったのが与謝蕪村。画論の中でもかなり厳しく、どうも中国趣味に軸足を置いた作風がお気に召さなかったようです。
会場最後の高橋草坪と帆足杏雨は、ともに竹田の門人です。
順に、池大雅《蜀桟道図》、与謝蕪村《龍山落帽図》、高橋草坪や帆足杏雨の作品国内外屈指の竹田コレクションを持つ
出光美術館ですが、竹田にスポットを当てた企画展は
出光美術館では実に18年ぶり。久々の大公開となります。
会場入って右側の4点は「これぞ田能村竹田」という逸品。これにもう1点を加えて、あなたの「竹田ベスト5」をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年6月25日 ]