展覧会は橋本雅邦(1835-1908)や、横山大観(1868-1958)、下村観山(1873-1930)、菱田春草(1874-1911)、木村武山(1876-1942)などの日本美術院創設メンバーからはじまります。大観や観山の世代は青邨よりも10~20歳ほど年上。世代が1つ2つ上の大先輩たちです。
第1章 日本美術院の開拓者たち中でも青邨は観山を深く敬愛し、青邨が結婚する際に観山が色々と力添えするなど、深い縁がありました。観山の死の折には、青邨は真っ先に駆けつけ、そのデスマスクを制作しています。
展示されている観山の《不動明王》は、観山が海外留学中の1904年頃の作品。不動明王の肉体表現は鋭い陰影がつけられ、西洋絵画の影響を感じられます。海外で展示されたこともあって、左下にはアルファベットの署名付き。ぜひ会場でご確認ください。
下村観山《不動明王》山種美術館青邨は挿絵画家としても活躍していた梶田半古(1870-1917)の門下に入ります。半古の画塾では小林古径(1883-1957)と出会い、2人は生涯切磋琢磨しあう友人に。他にも安田靫彦(1884-1978)、奥村土牛(1889-1990)、小茂田青樹(1891-1933)、速水御舟(1894-1935)らとともに、日本美術院の第二世代として画壇で活躍しました。
『大物浦』は青邨83歳の作品。兄である源頼朝の不興を買い、追われる身となった義経が、大物浦で嵐に巻き込まれる姿です。ダイナミックな荒れる波と人々の衣装の表現には垂らし込みの技法が使われています。一人一人の表情まで細かく描きこまれた大作です。
前田青邨《大物浦》山種美術館 ©Y.MAEDA&JASPAR,Tokyo,2015 E1544青邨は長い画業の中で、守屋多々志(1912-2003)や平山郁夫(1930-2009)など、多くの弟子を育てました。
守屋多々志は、青邨の死去の翌年、《平家厳島納経》を制作。厳島神社に向かう平家一門を描いた作品で、人物一人一人の表情まで丁寧に描かれています。守屋はこの作品を「師への手向けの気持ちを込めて描いた」、と語っています。
守屋多々志《平家厳島納経》山種美術館第2展示室では、青邨も参加していた若手画家たちの研究会「紅児会」の仲間たちの作品が紹介されます。今回約2年ぶりの展示となる速水御舟の名作、重要文化財『炎舞』はここで展示されています。3か月にわたり軽井沢で研究を重ねて描いた炎や背景の闇の奥深さ、炎に戯れる精緻な蛾の描写をゆっくりとご堪能ください。
重要文化財 速水御舟《炎舞》山種美術館今回は山種美術館所蔵の青邨作品13点が21年ぶりの一挙展示。そして、大観、春草、古径、靫彦、御舟から守屋多々志、平山郁夫ら、院展の巨匠の作品など、日本美術の流れを山種美術館の豊富なコレクションで総覧できる絶好の機会です。山種美術館おなじみのきもの・ゆかた割引も実施中。夏は浴衣で日本美術をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:川田千沙 / 2015年6月29日 ]■前田青邨と日本美術院 に関するツイート