80年代から近年まで、雑誌「mc Sister」「Olive」「25ans」「VOGUE」等で活躍していた森本さん。抜群のセンスでカジュアルからモードまでファッショナブルに描き、まさにファッションイラストレーターの第一人者といえる存在でした。
会場冒頭では、まず森本さんの代表的なファッションイラストが紹介されています。
イントロダクションは森本流の「ファッションイラストレーション」森本さんはセツ・モードセミナー出身。在学中から編集部をまわり、20歳の頃からイラストレーターとして活躍し始めました。
1980年代の作品はペン画が中心。カラフルな色彩で描かれた8頭身の人物は60年代のアメリカ風で、後年の森本作品の印象とはだいぶ異なります。
ペン画でも順調だった森本さんですが、80年代終わりごろに墨と筆での表現に移行。力強い輪郭線で描かれたゴージャスなイラストは、好景気に沸く時代の共感を呼び、一層の飛躍を果たしました。
「1980年代のペン画作品」と「筆を使ったカラー作品」90年代になると、森本さんはエンタテインメント系の仕事も手掛けるようになります。時代の先端を走る当時のカルチャーと森本さんの作品はマッチし、CDジャケット、映画のポスター、イベントのフライヤーなど活躍の場を広げました。
中でも良く知られているのが、ピチカート・ファイヴのCDジャケット。メンバーの野宮真貴と小西康陽を描いたイラストは「渋谷系」の代表的なアイコンとしても知られています。
「エンタテインメント関係の仕事」2000年頃から、森本さんのイラストは筆によるモノクローム作品が主体になります。森本さんはセツ・モードセミナー時代に鍛えていたモデルを使ったクロッキーを、この時期に再開。洋画家ならともかく、イラストレーターがモデルを雇ってクロッキーを描くのは、かなり珍しいと言えます。
モデルを前にして描く事で「どこが可愛いと思ったか」を確認しながら作画していた森本さん。感動しながら描く事の大切さを意識していました。2002年頃からモデルにしていたニッキーさんの場合については、「ヒザの裏」に感動しながら描いていたといいます。
「筆によるモノクローム作品」森本さんの作品はアートディレクターらの共感を呼び、コラボレーションの仕事も増えていきます。
ユニクロの長袖Tシャツでは鷲見陽がアートディレクションを担当。ジル・スチュアートの衣裳を身に着けたジェニー人形のパッケージイラストも手掛けています。
2002年のクリスマスには、松屋銀座の広告でアートディレクターの古平正義が森本さんの作品を大胆に起用。赤と黒のクールな色使いは後年まで語り継がれる評判となりました。森本さんのイラストに覆われた銀座で、知人が「これが本当の"みゆき"通りね」と評した事にも感激したと伝わります。
順調だった仕事に加え、イラスト教室の講師も務めるなど後進の教育にも熱心でしたが、2013年10月に肝臓ガンで死去。まだ54歳の若さでした。
「アートディレクターたちとのコラボレーション」スタイリッシュなファッションを描き続けた森本さんですが、実は森本さんが描きたかったのは服ではなく、「女の子がなりたいというイメージ」でした。
女の子の希望そのものをシンプルに表現する事を追及した、森本さんならではの世界。会場にはいつにも増して、若い女性の姿が目立ちました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年7月7日 ]■森本美由紀展 に関するツイート