幕末の萩に生まれた藤田傳三郎。維新の中心を担った長州藩において、藤田自身も奇兵隊の隊士でもあったといわれています。
維新後は大阪に出て多くの事業を手掛け、関西屈指の実業家の座に上り詰めた傳三郎。当時の日本は近代化が進む一方で、廃仏毀釈の流れを受けて仏教美術が荒廃しており、心を痛めた傳三郎は散逸しつつある仏教美術の保護に乗り出します。
会場冒頭は、まず宗教美術から。快慶による重要文化財《地蔵菩薩立像》は、背後に回っての鑑賞も可能。《三方開春日厨子》は、厨子内にも細かな彩色が施されています。
第1章「傳三郎と廃仏毀釈」続く第2章は「国風文化へのまなざし」、和様の書や絵巻を紹介します。
日本の文物は中国に由来するものが多く、日本の絵巻も中国の画巻から発展したものです。ただ、物語が描かれるようになったのは、日本のオリジナル。長い年月を経て伝承を重ねる中で、分断されて軸物(掛軸)になった絵巻も数多くあります。
第2章「国風文化へのまなざし」傳三郎は近代茶人としても知られ、茶の湯を通じて井上馨や益田孝(鈍翁)らと親しく交わりましたが、残念ながら戦災による混乱もあって、傳三郎の茶会記などは現存しません。
この章には墨跡や中国の宋元画、日本の水墨画など、茶の湯の席で重用された名品が並びます。
第3章「傳三郎と数寄文化」続く吹抜けエリアは、先に第5章「天下の趣味人」となります。
実業界随一の趣味人だった傳三郎。茶の湯のみならず建築、造園、能楽にも明るく、特に能楽は邸内に能舞台を備えるほどでした。
竹内栖鳳による《大獅子図》とともに能面や能装束なども展示されており、そのコレクションは多彩です。
第5章「天下の趣味人」多くの方が、おそらくこれを楽しみにしていると思います。国宝《曜変天目茶碗》はここで登場します。
世界に三点しか現存しない、曜変天目茶碗(他は
静嘉堂文庫美術館蔵と大徳寺龍光院蔵)。宇宙を思わせる瑠璃色の斑文が内側を彩り、茶道具に詳しくない方でも、その神秘的な佇まいには息を飲むことでしょう。
藤田美術館の曜変天目茶碗は、徳川家康から水戸徳川家に伝わったもの。1918(大正7)年の売り立てで、藤田平太郎が53,800円で購入しました。この茶碗は斑文が外側にも現れているのが特徴的ですので、会場でじっくりとお楽しみください。
国宝《曜変天目茶碗》国宝《曜変天目茶碗》を含めて、以降は全て第4章「茶道具収集への情熱」となります。
茶道具の蒐集に情熱を傾けた傳三郎。長きに渡って憧れ続けた《交趾大亀香合》を亡くなる10日前に入手したという逸話も伝わります。
子息たちも《曜変天目茶碗》をはじめ様々な茶道具を蒐集。充実した現在のコレクションが形成されていきました。
第4章「茶道具収集への情熱」前後期あわせて約120件のうち、国宝が8件、重要文化財が22件も出展される豪華な展覧会。関西の人にはお馴染みの
藤田美術館の名品を、東京近郊の人が見られる絶交のチャンスです。8月31日までの前期と9月2日からの後期で多くの作品が入れ替わりますので、
公式サイトの出品作品リストでご確認の上、お出かけください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年8月4日 ]※作品はすべて藤田美術館蔵
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