いつもは特別展覧会が開催される明治古都館が休館中のため、平成知新館で開催される本展。彫刻がある1階の展示室以外、全ての展示室を用いての大琳派展です。
「京都・鷹峯に本阿弥光悦が芸術村を作り…」は、各地で開かれている琳派400年展で必ず解説される決め言葉。それを実際に示した資料《光悦町古図写》が、本展の冒頭で展示されています。
T字に伸びる通りの両側に、56軒の屋敷。光悦の一族や、親交があった町衆の名前も記されています。
《光悦町古図写》俵屋宗達が下絵を、光悦が和歌を書いた合作はいくつも知られていますが、重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》は極めて華麗な逸品です。かつてこの作品を入手した荒川豊蔵(人間国宝の陶芸家)は、箱の蓋裏に「天恵」と書くほど喜びました。
水辺で羽を休める鶴は、舞い上がり、群れになって海の上を飛び、そして降下してと、アニメーションのような描写。光悦の書も抑揚が効いており、まるで音楽を奏でるようなリズム感があります。
全長13.56メートルという長い巻物ですが、嬉しい事に会期中通じて全編が公開されます。端からゆっくりと、お楽しみください。
重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》 本阿弥光悦筆・俵屋宗達画「琳派におけるかたちの継承」といえば、誰でも風神雷神図が頭に浮かびますが、本展ではもうひとつ。光琳と抱一による《三十六歌仙図屛風》が並んで紹介されています。
二曲一隻の小ぶりな屏風に描かれた、藤原公任『三十六人撰』に基づく歌人たち。向かって右はメナード美術館が所蔵する光琳版、左の抱一版は米国のプライスコレクションです。
抱一版の方が発色が良く華やかな印象ですが、構図も表情もまるっきり同じ。印まで全く同じ場所に押されています。
瓜二つの《三十六歌仙図屛風》の他、光琳の画稿や、鈴木其一による横長の作品も展覧会の最大の目玉が《風神雷神図屏風》。17世紀に宗達、18世紀に光琳、19世紀に抱一と、100年ずつ挟んで図像が受け継がれてきました。
もともと風神雷神は千手観音の眷属ですが、この二神のみを絵画化したのは宗達が初めてです。宗達版と二神がほぼ重なり、敷き写したと思われる光琳版。抱一版は屏風のプロポーションが違い、二神がだいぶ近づいています。同じ展示室で見る事で、それぞれの個性を比べる事ができます。
なお、会期中通して出展されるのは宗達版だけ。三者がそろうのは10月27日~11月8日となります。ご注意ください。
《風神雷神図屏風》のそろい踏み。三者が揃わない時に展示される重要文化財《夏秋草図屏風》酒井抱一筆は、光琳版の風神雷神の裏面に描かれていたものですゲームの影響で若い女子に大人気の刀剣。展覧会で《骨喰藤四郎》と《光徳刀絵図》が並ぶのは、今回が初めてです。
そもそも琳派の祖・光悦を生んだ本阿弥家は、刀剣の研ぎや鑑定が生業です。《光徳刀絵図》は光悦の従兄弟・光徳が作者とされ、この絵図の巻頭に、骨喰藤四郎の全身押形が収録されています。
現存の骨喰藤四郎は、江戸時代の明暦の大火(振袖火事)で被災。後に修復されたため、刃文と肌は製作当初と異なります。この絵図こそ「戯れに斬る真似をするだけで骨が砕けて死ぬ」と伝わる骨喰藤四郎の真の姿なのです。
重要美術品《光徳刀絵図》は、近年になって石川県立美術館の所蔵となりました今でも京都の町には琳派に繋がる美意識は随所に見られますが、あまりにも身近にあるためか、琳派をテーマにした大規模展が京都で開かれた事はありませんでした。
「京で生まれた琳派を、琳派を生んだ京で見る」が、展覧会の大きなコンセプト。メモリアルイヤーのとりを飾るに相応しい、豪華な展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年10月9日 ]※会期中、作品の一部展示替えがあります
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