芸術か、猥褻か。はだかをめぐる議論は、明治の世においては現代と比べ物にならないほど大きな問題でした。
欧州で絵画を学んだ黒田清輝は、鏡の前の裸婦を描いた作品「朝妝」をフランスから持ち帰り、明治28(1895)年の内国勧業博覧会に出品しましたが、会場は大きな騒ぎとなりました。風刺画家のビゴーは、顔をくっつけんばかりに絵を見る男性や、恥ずかしさのあまり顔を隠す女性など、絵を巡る混乱を風刺しています。
はだかは猥褻ではなく芸術であることを示すために、黒田は様々な工夫を行います。黒田の代表作「智・感・情」は、この時代の日本人としてはありえない7.5頭身というプロポーション。股間部分も不自然なほどにつるっと描き、実際の人間との違いを強調することで、性的な印象を抱かないようにしたのです。
本展は「はだかを作る」「はだかを壊す」「もう一度、はだかを作る」の三章構成です。
黒田清輝、和田英作らの明治の先人たちが、猥褻ととられないように様々な工夫をしながら、はだかを表現していった第一章。
黒田らの次の世代で前衛美術の流れを受けた萬鉄五郎、熊谷守一、古賀春江らは、黒田らに反発するように自らの表現手法で、はだかに挑んでいった第二章。
安井曽太郎、小出楢重、梅原龍三郎ら、さらに次の世代は、性的な制約から逃れはじめ、生々しい表現も試していくなど、新しいはだかを作っていった第三章。
また、今回は所蔵作品展でも日本画、彫刻、写真、素描、版画の中のはだかの表現を「ぬぐコレクション」と銘打って紹介しており、
東京国立近代美術館全体がはだかで彩られるという、異色の構成となっています。
刺激的な表現が氾濫している現代、本展を猥褻と思う人は少ないでしょうが、はだかに対する規制は、今でも思いのほか多くあります。本展の広報として交通広告を企画したところ、却下されてしまったというエピソードはそのひとつ。名画の記念切手は定番ですが、裸体画の記念切手は認められないなど、各所に制限が残っているのです。
社会的な制約とは裏腹に、本展の企画には「名だたる女性誌から取材が殺到した」(担当学芸員の蔵屋美香氏)とのこと。若い女性も「描かれたはだか」には多いに興味があるようです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2011年11月14日 ]