フランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられ、徐々に広まっていったキリスト教。天正遣欧少年使節は「日本における布教をローマ教皇に伝える」「日本人に西洋世界を理解させる」というふたつの目的で派遣されました
会場は使節が訪れた順番で、イタリア各地の美術・工芸品を紹介していきます。
展覧会メインビジュアルの少女像は、夭折したメディチ家の娘。宮廷画家として活躍したブロンズィーノの代表作のひとつです。
その奥は、トスカーナ大公夫人のビアンカ・カペッロの肖像。ビアンカは舞踏会で自ら伊東マンショの手を取って踊ったというエピソードも伝わります。
少年たちが謁見した教皇は、グレゴリウス13世。現在使われているグレゴリオ暦を採用したのはこの人です。
プロローグ、1~3章使節は教皇との謁見後、行きとは異なる順路で帰路を進みました。歓待を受けたイモラでは、日本語の手紙も残しています。
ヴェネツィアは、ローマとともに少年たちが最も感銘を受けた都市です。サン・マルコ寺院をはじめ著名な施設を訪問、ムラーノでは吹きガラスのデモンストレーションも見学しています。
2014年に存在が確認されて話題となったのが、伊東マンショの肖像。4人が描かれていた作品が切断されたものと考えられています。作者のドメニコ・ティントレットは、ヴェネツィア派を代表するティントレットの息子です。
4~6章10日間滞在したヴェネツィアの後は、イタリア半島北部を西へ。ここでも各所で歓待を受け、さまざまな施設を見学しています。
ミラノにも8日間滞在。ミラノ・アンブロジアーナ図書館には、4人が描かれた手稿本も残されています。
3月1日から8月8日まで、5カ月に及ぶイタリア滞在を終えた少年使節。双方ともに異文化を認め合う、充実した国際交流を成し遂げたといえるでしょう。
7~9章ただ、帰国した少年たちを待っていたのは、「バテレン追放令」が発令されていた日本でした。中浦ジュリアンは逆吊しの拷問を受けても棄教を拒否し、ついに絶命。殉教してから374年を経た2007年に、福者に列せられています。
展覧会は神戸、青森と巡回して東京へ。
東京富士美術館が最終会場です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年9月26日 ] | | 東京美術館案内
昭文社 旅行ガイドブック 編集部 (編集) 昭文社 ¥ 1,296 |
■遥かなるルネサンス に関するツイート