「新・桃山の茶陶」と銘打った本展。前回の「桃山の茶陶」展は、平成元年(1989)に開催されました。ネットメディアでは古参を自負するIMも、残念ながら前回展は取材していません。
昭和62(1987)年から翌年にかけ、京都・三条弁慶石町で信楽・備前・志野などの大量の茶陶を発見。通常の町屋敷からの出土品と比べて異常に多く、しかも使われた痕跡が無い事から、きわめて特殊な事例として注目されました。前回の展覧会は、速報的にその成果を紹介したものです。
展覧会を機に三条通の遺跡が注目されるようになると、僅か200メートルにも満たない範囲の中之町や下白山町からも、大量の桃山茶陶が出土。さらに調査を進めると、当時の地図や日記で中之町が「せと物や町」「瀬戸物町」と記されていた事も分かり、この地にやきものを大量に扱う商家があった事が確定的になりました。
今回の展覧会では、約30年の間に進んだ研究の成果が紹介されています。会場には弁慶石町をはじめ、中之町、下白山町、福長町、油屋町、四坊堀川町から出土した茶陶が露出展示で紹介されており、いつもの根津美術館とは少し雰囲気が違います。
展覧会は4章構成ですが、第3章「桃山の茶陶と京都三条瀬戸物屋町」がメインです。桃山の茶陶は慶長年間(1596~1615)の後半頃から器種・生産量とも爆発的に増加。客の要望に応えるかたちで発達したのが、三条瀬戸物屋町の商人たちと考えられています。
見つかった茶陶は、流通段階での選別や、在庫が一括処分されたものと考えられます。ユニークなのが、焼成時に割れた不良品も見つかっている事。わざわざ窯元から運んできた理由は、不良品も売り物にしたから。「洛中洛外図屏風」(福岡市博物館蔵:屏風は未出展ですが、会場で拡大図が示されています)に、瀬戸物屋の店先に割れた徳利が描かれています。さしずめ「ジャンク品」といったところでしょうか。
出土品の中には、現在まで伝わるやきものと、ほぼ同じものもあります。縞やV字の模様がある《織部筒向付》(根津美術館蔵)は中之町の出土品に、三角錐形の《三角耳付花入》(MOA美術館蔵)は、下白山町の出土品に同形のやきものが。詳しく見ていくと、他にもたくさんあるそうです。
展覧会を機に調査や研究が進む事はしばしばありますが、ここまで著しい成果に結び付くのは珍しい事例です。三条瀬戸物屋町から出土していない桃山の茶陶もあるそうで、今後の研究も期待されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年10月19日 ]