フィンランドでは高い知名度を持つルート・ブリュック。2016年には生誕100年を記念する大規模展がヘルシンキ近郊で開催され、フィンランド国内やスウェーデンを巡回して反響を呼びましたが、日本では「知られざる大型作家」という存在です。
「蝶の軌跡」という展覧会タイトルは、その作品から。ブリュックの作品には、たびたび蝶のモチーフが登場します。
展覧会は年代別の構成です。第1章「夢と記憶」では、グラフィック・アーティスト時代の作品から始まります。
ブリュックはスウェーデン・ストックホルム生まれ。少女時代から絵を愛し、ヘルシンキの美術工芸中央学校に進学。卒業後はグラフィック・アーティストとして働き始めました。
テキスタイルのデザインなどが評価され、1942年にスカウトされてアラビア製陶所へ。作陶の経験はなく、他の職人が作った製品に絵付けをする作業から、半世紀に及ぶ陶との関わりが始まりました。
1945年にはタピオ・ヴィルカラと結婚。ヴィルカラは装飾用の彫刻職人でしたが、後にテーブルウェアからグラフィックまでこなす、多彩なデザイナーとして成功しました。夫婦ともに、国際的な名声を得る事になります。
第2章は「色彩の魔術」。1948年から1950年にかけて、ブリュックは石膏型を用いた鋳込み成形(スリップ・キャスティング)で作陶。豊かな色彩に彩られた、さまざまな陶板を制作しました。
当初は方形だった陶板の形も、この時期には建物や動物などモチーフにあわせた自由な形に。1951年にはミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞するなど、大きく飛躍していきます。
第3章は「空間へ」。父が蝶類学者だった事もあり、ブリュックにとって蝶は特別なモティーフでした。その父は、1957年に死去。ブリュックはこの年、数多くの蝶の作品を制作しています。
この時期からは、作品を組み合わせて大きな作品にする表現もスタート。ブリュックはもともと建築家志望でしたが、陶による建築的な作品に挑戦していきます。
第4章は「偉業をなすのも小さな一歩から」。1960年代後半以降は、小さなタイルを組み合わせて、庁舎や銀行など公共の場所に設置される作品を制作しました。
ひとつひとつの陶板は単純化され、図像も幾何学的になりますが、当時フィンランドを席巻していたモダニズムには背を向け、独自の道を進んでいきました。
第5章は「光のハーモニー」。1970年代以降は、作品の凹凸から生まれる光と影の表現に没頭します。作品はさらにシンプルで幾何学的になり、色もモノクロームが増えていきます。
夫・ヴィルカラは1985年に死去、ブリュックも1999年に83歳で死去しました。夫と同じヘルシンキの墓地に眠っています。
前半と後半を見くらべると、同じ作者による作品とは思えないほど、その表現は豊か。動画でのご紹介ができずに残念ですが、温かみが感じられる陶器の肌合いは、赤レンガの展示室との相性もピッタリです。
展示室は一部をのぞいて一般の方も撮影可能。東京展の後に、伊丹・岐阜・久留米に巡回します。巡回展の会場と会期はこちらです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年4月26日 ]