青年期の芸術的な写真から、冷戦期の一大写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン」まで、約70年に渡って第一線で活躍したスタイケン。本展はパリを皮切りに欧米各地を巡っている国際巡回展です。
世田谷美術館での本展は、15年間を3期に分けた章構成です。
第1章 アール・デコの息吹 ─ 1923~1926
第2章 光と影の日々 ─ 1927~1931
第3章 永遠の瞬間 ─ 1932~1937
メインビジュアルの《女優グロリア・スワンソン》から、会場風景20代前半から活躍していたスタイケンは1923年、44歳のときに大手出版社のコンデ・ナスト社の主任写真家に就任。展覧会はこの時期からの作品を追います。
約200点のファッションとポートレート写真は、主に「ヴォーグ」誌と「ヴァニティ・フェア」誌に掲載されたもの。現代にも通じるような洗練されたビジュアルですが、日本では関東大震災から盧溝橋事件までの時期にあたります。
会場各所には、スタイケンが語った印象的な言葉も紹介されています。
「いつの時代でも、いちばんいいものはすべて商業芸術だった。」は、50歳の時に出版された写真集に書かれたもの。大衆が求めるものを敏感に察知していたスタイケンの挑戦的な言葉ですが、当然、芸術家寄りの写真家や批評家から大きな反発を受けました。
“いつの時代でも、いちばんいいものはすべて商業芸術だった。”多くのモデルを魅力的に撮影したスタイケンですが、一番のお気に入りだったのは、このマリオン・モアハウスです。
「モアハウスも私も、ファッションそのものには関心がなかった。ただ、彼女は撮影用の服にそでを通したとたん、それがドレスであれ乗馬服であれ何であれ、いかにもそれを身にまといそうな女性に変身することができたのである。」と評します(『ある写真人生』1963年)。
マリオン・モアハウスを集めたコーナー展覧会は、スタイケンがコンデ・ナスト社を去った1937年まで。スタイケンは商業写真からの引退を宣言しますが、その後も自分のペースで写真を撮り続けました。大戦では空母に乗船して撮影。戦後はMoMAの写真部長となり、前述の「ザ・ファミリー・オブ・マン」を企画して、大ヒットしました。ただこの写真展も「米国イデオロギーの宣伝興業」という批判にも晒されています。
1973年3月に93歳で死去。華々しい活躍の一方で、その業績について未だに毀誉褒貶が激しい人物です。
会場展覧会でぜひ見ていただきたいのが「ヴォーグ・アーカイヴ」。1892年から現在まで、120年以上発行されている米国版「ヴォーグ」誌の全ページ(広告ページまで!)をPCで閲覧できるコーナーです。40万ページ以上をフルカラーでデジタル化。本来は有料ですが、本展では株式会社WGSNの協力により、会場に設置された2台のPCで無料で楽しめます。
ちょうど没後40周年に日本開催となりましたが、国際巡回展でありながら日本開催は
世田谷美術館のみ。モードや写真が好きな方は、お見逃しなく。(取材:2013年1月29日)