作曲は中村八大、永六輔が作詞し、坂本九が歌った「上を向いて歩こう」。「SUKIYAKI」という楽曲名でビルボード1位を獲得してから半世紀たちますが、今でも日本の曲で1位を獲得したのはこの曲だけです。
「SUKIYAKI」は、坂本九が歌った日本語のまま米国で発売。6月15日に全米1位になると、その後3週連続首位をキープ。翌1964年には100万枚を売り上げ、ゴールド・ディスクも受賞しています。
会場冒頭で流れるのは、もちろんこの歌声曲と詞を手がけた中村八大と永六輔は、第1回日本レコード大賞も受賞している名コンビです。「上を向いて歩こう」は1961年7月に行われた「第三回中村八大リサイタル」のために作られました。江利チエミ、ザ・ピーナッツ、加山雄三らも出演したこのショーに抜擢されたのが、当時19歳のロカビリー歌手、坂本九です。
「上を向いて歩こう」はNHKの人気テレビ番組「夢で逢いましょう」で歌われ、大評判に。1961年10月にレコードが発売され、爆発的ヒットとなりました。
会場会場には、SUKIYAKIを聴きながら海外で活躍した日本人についても紹介されています。日本人初のメジャーリーガー村上雅則は、1964年の初登板で「上を向いて歩こう」をハミングしながらマウンドへ。約30年後の野茂英雄も、ドジャーススタジアムでの登板時にSUKIYAKIが流れていたのはご記憶の方も多いのではないでしょうか。
村上と同じ時期にアメリカで武者修行を行っていたのが、プロレスラーのジャイアント馬場。試合の後に街角の店のジュークボックスで「SUKIYAKI」を聴いていました。
村上雅則、ジャイアント馬場、そして野茂英雄…。「SUKIYAKI」は世界で戦う日本人を支え続けたもうひとり「上を向いて歩こう」で忘れられない人といえば、“キング・オブ・ロック”こと忌野清志郎です。1979年、清志郎がボーカルをつとめるRCサクセションのシングル(B面)に収録されました。清志郎はライブのたびに「日本の有名なロックン・ロール!」として、「上を向いて歩こう」を歌い続けています。
「日本の有名なロックン・ロール!」を熱傷する、忌野清志郎会場の最後は「奇跡の歌から希望の歌へ」です。2004年10月に京都でおきた水害では、バスの屋根の上に取り残された37人が「上を向いて歩こう」を歌って励ましあいました。震災への応援メッセージとしてこの歌を皆で歌うことを呼びかけている「上を向いて歩こうプロジェクト」も紹介されています。
ひとつの歌を巡る、数多くの物語。往時を知らない世代の方にこそ、ご覧いただきたい企画展です。(取材:2013年5月14日)