明治維新後の廃仏毀釈で、古美術の破壊や海外流出が進んでいた日本。伝統美術の将来に危機感を抱いた人々が、不忍池畔の天龍山生池院(弁天堂)で設立したのが龍池会です。日本美術協会に改称された後には初代総裁に有栖川宮熾仁親王殿下、第二代に威仁親王殿下、そして昭和に入り第四代総裁に高松宮宣仁親王殿下を戴きました。
本展は有栖川宮家、高松宮家にゆかりの美術工芸品を中心に紹介する企画です。
展覧会冒頭には肖像画が並びます有栖川宮威仁親王には跡継ぎがいなかったため、その祭祀を継承したのが大正天皇の第三皇子である宣仁親王(昭和天皇の弟)。大正13(1924)年に有栖川宮の旧称である高松宮となりました。宣仁親王は徳川慶喜の孫にあたる徳川喜久子姫と結婚。宣仁親王は亡くなるまで日本美術協会の総裁をつとめられました。
会場には幼少の宣仁親王が使われたランドセル、ご婚儀の際の衣装、欧米をご訪問された時の資料など、おふたりのあゆみを示す資料が並びます。
第二章「高松宮宣仁親王と喜久子姫のあゆみ」会場2階では、近年上野の森美術館に預けられた有栖川宮家伝来のディナーセットなどが紹介されています
慶事の宴の引き出物として列席者に贈られたのが「ボンボニエール」。華やかな工芸意匠が施された、蓋付の小さな菓子入れです。トランク型、鳥籠型、複葉機型など、ユニークなものばかり。ちなみに、ボンボニエールの慣習は現在でも続けられています。
有栖川宮家伝来のディナーセットなど展覧会の最後は、日本美術協会とかかわりの深い作家の作品や、定期的に開催されていた「美術展覧会」の出展作品です。
龍池会を設立した佐野常民(明治時代の官僚、政治家)の胸像、上野を舞台に月岡芳年や河鍋暁斎らが描いた浮世絵などが並びます。
月岡芳年や河鍋暁斎らの作品(会期途中で展示替えがあります)上野の森美術館では1995年にも同じ趣旨で「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品展」が開催されており、その際は22日間で入場者3万人超という人気ぶりでした。
宮家伝来の名品を楽しめる機会とあって、来場者の多くが熱心に鑑賞しています。(取材:2013年5月28日)