日本の自然や風物を詩情豊かに表現した川合玉堂。
山種美術館は創立者の山崎種二が玉堂と親しかったこともあり、71点の玉堂作品を所蔵。これは同館としては速水御舟、奥村土牛に次ぐ数の多さです。本展では71作品を前後期で全て公開します。
まず注目は、玉堂がわずか15歳の時に描いた《写生画巻「花鳥15歳写生」》(玉堂美術館蔵)。驚くべき画力ですが「美術史に残る人なら、このぐらい描けて当たり前です。大学から野球をはじめてプロ野球選手になった人がいますか?」とは、山種美術館顧問の山下裕二先生。なるほど、言われてみれば納得です。
展示室と、川合玉堂《写生画巻「花鳥15歳写生」》《二日月》(東京国立近代美術館蔵)は、玉堂の転換期とされる重要な作品です。薄暮れの空に、三日月より細い二日月(ふつかづき)。もやの中に霞む農夫や馬は墨の濃淡で描かれ、作中には静かで穏やかな空気が流れています。
実は上空の青色と夕焼けの赤色には、当時日本に入ってきたばかりの輸入科学染料が使われていました。残念ながら今は退色してしまい、玉堂も退色したこの作品を見て非常に落胆したと伝えられています(7月7日までの前期展示です)。
川合玉堂《二日月》展覧会メインビジュアルになっているのが、こちらの《早乙女》(山種美術館蔵)です。
田植えに勤しむ野良着の女性、立っている人は被った手拭いを直しているのでしょうか。よく見ると女性の顔には笑みがこぼれており、のどかな田園風景を描いています。
牧歌的な一枚ですが、この作品の制作は戦時中。現在の青梅市に疎開している時に描かれたものです。
川合玉堂《早乙女》展示は小さな展示室2にも続きます。《松上双鶴》は山崎種二の長女の結婚に際して描かれた作品、《虎》は
山種美術館二代目館長の山崎富治が学徒動員で召集された際に贈られたと思われています(いずれも山種美術館蔵)。
ちなみに玉堂は出征に際して多くの虎の絵を描いており、頼まれれば面識がない人にでも描いていたとか。玉堂の虎を贈られた人は誰も戦死せず、無事に帰還しているという話も伝わっています。
展示室2ここではご紹介できませんでしたが、展覧会では玉堂の書や俳句も紹介。軍靴の音を感じさせる俳句などもあって、玉堂の世界を幅広くお楽しみいただけます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年6月10日 ]