和服を着た妻を描き、自宅の池に日本風の橋を架けたモネ。モネは日本を愛していましたが、逆に日本でもモネは大変人気がある画家で、好きな西洋画家のランキングでは必ず上位に上げられます。
国内でモネを所蔵する美術館はいくつかありますが、双璧といえるのが絵画15点(寄託含む)とデッサン2点の
国立西洋美術館と、絵画19点の
ポーラ美術館。うち1点を除き、あわせて35点のモネ作品が一堂に会するまたとない機会になりました。
会場最初は1899年のモネの肖像写真。59歳でした展覧会は5章で展開。両美術館が所蔵する近代絵画も含め、約100点で構成されます。
第1章「現代風景のフレーミング」
第2章「光のマティエール」
第3章「反映と反復」
第4章「空間の深みへ」
第5章「石と水の幻影」
国立西洋美術館にとっては、はじめて国内の私立美術館と共同で開催する企画展でもある本展。共通したテーマの作品や、影響を与えた作品も並べて紹介されています。
会場にはモネを讃えた著名人の言葉も自宅の庭に造った池を題材に、モネは200枚以上の睡蓮を描きました。並んで展示された2つの《睡蓮》は、左はポーラ美術館蔵で1907年制作。右は国立西洋美術館蔵で1916年制作です。
この間のモネは妻と長男に先立たれ、自身も白内障が悪化するなど不幸に見舞われますが、1914年から睡蓮の大装飾画に着手します。
現在はオランジュリー美術館に収められているこの大装飾画のために多くの秀作が描かれましたが、モネはこれらを売りたがらなかったばかりか、気に入らない作品は破棄しています。国立西洋美術館の《睡蓮》は、この時の習作のひとつと考えられており、とても貴重な作品です。
並んだ2つの《睡蓮》展覧会の最後は、松方幸次郎について。先の《睡蓮》も、松方幸次郎が1921年頃に購入したものです。
第一次大戦で財を成した川崎造船所社長の松方幸次郎は「日本の若い画家たちに本物の西洋美術を見せよう」という気概を持っており、1910年代後半~20年代前半にかけて積極的に美術品を蒐集。モネとはアトリエを訪ねるほどの親交を結び、30点以上の作品を購入しました。
「共楽美術館」を建てるべく、麻布に用地を確保し、建物の設計も進めていましたが、金融恐慌で状況は一変。多くの作品は散逸してしまいました。パリに残った作品が第二次大戦後にフランスから日本に返還され、これを保存・公開する施設として建てられたのが、現在の
国立西洋美術館です。
松方幸次郎の肖像と、画廊からモネの絵画を購入した受領書。「Kojiro Matsukata」の文字が見える私たちが上野で気軽にモネを楽しめるのも、松方幸次郎と鈴木常司(ポーラ美術館のコレクションを収集した、ポーラ創業2代目)の高い志があったからこそ。両名に感謝しつつ、印象派の真髄を満喫してください。
なお、来年夏にはジャポニスムの傑作、モネの「ラ・ジャポネーズ」も来日する予定(2014年6月28日~世田谷美術館の後、京都・名古屋を巡回)。モネのファンは楽しみが尽きません。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年12月6日 ]