名取洋之助は1910年生まれ。裕福な家庭に育ち、ドイツに留学。グラフ誌への写真寄稿を機に報道写真家となり、ヨーロッパで活躍するようになります。
ヒットラーの外国人ジャーナリスト規制で日本に戻ると、制作集団「日本工房」を設立。その後も1936年にはベルリンオリンピックを取材、アメリカでは「LIFE」の契約写真家として迎えられるなど、世界中で活躍しました。
会場日本工房が1934年に創刊したのが、対外宣伝グラフ誌「NIPPON」です。名取の指揮の下、カメラマンとして土門拳、藤本四八、小柳次一ら、デザイナーとして山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策らが参加しました。
名取の徹底したこだわりにより、デザインから印刷、紙質に至るまで、それまでの日本の出版物のレベルをはるかに凌駕するクオリティだった「NIPPON」。日本工房で育った多くのクリエイターは戦後も第一線で活躍し、名取が「報道写真とデザインの父」と呼ばれる所以です。
対外宣伝グラフ誌「NIPPON」展覧会では、名取が撮影に使用したカメラや、パスポート、日誌なども紹介されています。
名取は海外に行くといろいろな事を書き留めていたという、名取の長女・美和さん。ただ、悪筆のため読むのは苦労したとも語っていました。
カメラや、パスポート、日誌なども戦後の仕事として紹介されているのが「岩波写真文庫」。「物語る写真」をスローガンに、1950年から58年まで刊行されました。
一冊1テーマで、計286冊を発行。ここでも名取は、積極的に若手を登用しています。
「岩波写真文庫」会場で販売されている書籍「名取洋之助: 報道写真とグラフィック・デザインの開拓者」も、読み応えたっぷりです。LIFEに掲載されて有名になった
「上海南駅で泣く赤ん坊の写真」を見て、その作為的な編集手法に対抗しようと考えていたなど、硬派なエピソードも綴られています。
百貨店での開催ということもあり、会期は僅かに12日間のみ。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年12月17日 ]