江戸東京博物館の開館20周年を記念し、2013年2月~3月に全55点が一堂に展示された保永堂版「東海道五拾三次」。来館者の熱い要望に応えるかたちで、約1年後の再展示となりました。
会場入口から歌川広重は東海道シリーズの浮世絵を20種以上描いています。保永堂版「東海道五拾三次」は最初に手掛けた作品で、名所絵師としてその地位を確立した大ベストセラーです。
江戸時代後期は庶民の間にも伊勢参りが流行。交通の要所だった東海道は、文化交流の舞台としても賑わいました。世界文化遺産に登録された富士山も東海道の観光名所で、55図中7図に富士山が描かれています。
会場展覧会では旅道具なども紹介されています。帯に通して使う小銭入れ「早道」、今ならライターの「火打袋」、"お猿の駕籠屋"でも知られる「小田原提灯」など。江戸時代の旅姿が浮かんでくるようです。
細かな数字が並ぶ表は「東海道中山道里程附」。東海道と中山道の各宿場間の距離をまとめたもので、折りたたんで持ち運べるようになっていました。
旅の足元は、もちろん草鞋(わらじ)です。草鞋は3日で2足履きつぶす消耗品のため、街道沿いの茶屋などで売っていました。
旅道具の紹介会場の最後は、歌川広重について。広重は火消屋敷に生まれ、定火消同心を継ぎましたが、幼少期から絵が好きで歌川豊広の門人に。やがて同心を辞め、絵師に専念しました。
会場には広重愛用の品々のほか、遺言状も紹介されています。広重の死因はコレラと言われていますが、遺言の内容などから疑問視する説もあります。
江戸東京博物館で初公開となるのが、広重が10歳の時に描いたと伝わる「三保松原図」。構図は違いますが、広重は20数年後に保永堂版「東海道五拾三次」でも三保松原を描いています。
最後が広重10歳の作と伝わる「三保松原図」会期冒頭の2014年1月2日(木)・1月3日(金)は、常設展の観覧料が無料。本展も無料でお楽しみいただけます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年12月20日 ]