展覧会は、土器や土偶などを紹介する序章から。暴力のイメージが強いスサノヲですが、殺したオホゲツヒメの屍体から五穀が生まれたため、農耕や飼育に繋がる文化神的な意味付けもあります。
展示されている土器に人面が描かれているのは、食べ物を恵む女神としての見立て。さらに土器は人為的に破壊されている事がよくありますが、これは再生への願いを込めた行為で、スサノヲに殺されたオホゲツヒメ神話との類似性が見てとれます。
スサノヲは仏ではなく神のため、その姿を表現したものはあまり多くありませんが(例えば、一般的に仏像より神像の方がずっと少数です)、第1章「神話のなかのスサノヲ」で古来の貴重な作例も展示されています。
序章「日本神話と縄文の神々」、第1章「神話のなかのスサノヲ」タカマノハラを追放され、放浪を余儀なくされたスサノヲ。第4章ではそのイメージから、諸国を放浪した人物も紹介されています。
例えば円空は遊行の僧として各地を遍歴、独特の仏像を数多く残しました。松尾芭蕉による「おくのほそ道」も、旅路の末に編纂されたもの。平安時代の真言僧・西行は出家の後に風雅を求めて各地を放浪、その足取りは「西行物語」として伝わります。
第4章「マレビトたちの祈りとうた」スサノヲの受容を語る上で外せないのが、幕末の国学者・平田篤胤です。列強の脅威が迫り、相対的に中国の学問に対する信頼が揺らぐ中、篤胤は日本古来の神話を重視した思想を推し進めました。
人が死ぬと、醜悪な黄泉の国ではなく、地上と隣り合う幽冥界に行くと説いた篤胤。幽冥界を統治するのはオホクニヌシ、そのオホクニヌシはスサノヲから地上の統治権を与えられた、よってスサノヲは尊い神である。というのが篤胤の考え。面相を気にして、自らの顔の部位を採寸して描いた晩年の自画像からは、篤胤のエキセントリックな姿も垣間見えます。
第5章「平田篤胤の異界探究」上階では現代の作家が表現した作品も展示。佐々木誠の《八拳須》(やつかひげ)は、スサノヲが亡き母イザナミを慕って、顎髭が長くなるほど大人になっても泣き続けたという神話に基づいた木彫です。
木枠から麻布が吊り下げられているのは、栃木美保《まいか》。八角形の木枠は、スサノヲが詠んだ日本最古の歌に出てくる「八重垣」を想わせます。中に入ると、四季の花や種子が入った四つの容器。蓋をあけて香りを楽しむ作品です。スサノヲはイザナギの鼻から生まれた神で、嗅覚とも密接な関係があります。
第7章「スサノヲの予感」本展は全国巡回の5会場目で、渋谷が最終会場です。お見逃しなく。
なお、
渋谷区立松濤美術館の最寄りは井の頭線神泉駅ですが、渋谷駅から歩く方も多いと思います。この季節はマークシティ側に進むのがおススメ。構内を井の頭線の渋谷駅方面に進み、岡本太郎「明日の神話」を左手に見ながらエスカレーターで上がって、マークシティ4階の通路を真進すると道玄坂上交番前交差点まで涼しく辿りつけます。その後に少しホテル街を歩く事になりますが、灼熱に晒される時間はおそらく最短、ある程度人混みからも逃れられます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年8月7日 ]