もともとフランスの政治・文化の中心は、ルイ14世が建てたヴェルサイユ宮殿。17km離れたパリに移るのは、ルイ15世の時代に入ってからです。
文化の発信元も、それまでの壮大な宮殿から、パリに多く見られた個人所有の邸宅に変化。女性が中心になって自邸に客を招くサロン文化が発達し、贅沢な衣裳を着た婦人たちは、暖かいお茶と洗練された会話を楽しみました。
フランス革命やナポレオンの台頭と、時代が大きく変わる中で、社会で活躍する女性が増加します。一方で、家庭を守る伝統的な女性像への期待も根強く、芸術家たちはさまざまなパリジェンヌの姿を表現しました。
第1章「パリという舞台―邸宅と劇場にみる18世紀のエレガンス」、第2章「日々の生活―家庭と仕事、女性の役割」1852年にナポレオン3世が即位し、フランスは第二帝政に。社交界ではウジェニー皇妃を頂点に、ハイファッションが広がっていきました。フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターは、皇妃のお気に入りだった肖像画家。展覧会では、寛ぐ貴族の婦人を描いた作品が展示されています。
この時代には、パリ改造が行われました。道路網が整備され、衛生的な近代都市となったパリ。広告にもファッションがあふれ、女性に流行の装いが広まっていきます。パリジェンヌについて論じた本も出版され、今日に至るパリジェンヌのスタイルが確立しました。
第3章「「パリジェンヌ」の確立―憧れのスタイル」芸術の分野では、19世紀末になるとアカデミーが衰退。印象派などの新しい潮流が台頭します。女性たちはモデルになるだけでなく、ベルト・モリゾやメアリー・スティーヴンソン・カサットのように、自ら絵筆を取る優れた芸術家も現れます。
展覧会メインビジュアルのエドゥアール・マネ《街の歌い手》は、約70年ぶりの修復を終えて初公開。衣服の模様のほか、背部の風景もはっきりと分かるようになりました。
会場の最後は、20世紀のパリジェンヌ。1900年の万国博覧会前後には、歌手や踊り子として女性が活躍。ふたつの大戦が終わると、さらに女性の活躍の舞台が拡がりました。
展示室の3つのドレスは、袖なしのVネックドレスが1925-28年、ゆったりと広がるスカートのドレスは1949年、水玉模様のミニのドレスは1965年頃。それぞれの時代でパリジェンヌをとりこにした、流行のスタイルです。
第4章「芸術をとりまく環境―制作者、モデル、ミューズ」、第5章「モダン・シーン―舞台、街角、スタジオ」改修工事のために2017年7月から休館中だった
世田谷美術館は、本展で再オープン。展示室照明がLED化されたほか、パリジェンヌを迎えるに相応しく、外観もクリーニングされて明るくなりました。
展覧会は名古屋からスタートし、
世田谷美術館が2会場目。東京展の後は広島県立美術館に巡回予定です(4月11日~6月10日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年1月12日 ]■ボストン美術館 パリジェンヌ展 に関するツイート