※新型コロナウイルス感染防止のため2月29日(土)で終了
朝日智雄氏が蒐集した木版口絵の優品を紹介する本展。展覧会の前に、木版口絵の説明からはじめましょう。
木版口絵は、小説の単行本や文芸雑誌の巻頭に折込まれて入っていた、一枚擦りの版画です。A4程度の大きさで、明治20年代半ばから大正初期に流行しました。
内容は基本的には小説の一場面。当時は、封建的な家庭の中での恋愛を描いた「家庭小説」が主流だったため、木版口絵も多くは美人画でした。書籍の売り上げを左右するほど人気があったため、出版社はこぞって、実力のある絵師に口絵を依頼しました。
木版口絵は多色刷りの木版画なので、技法はそれまでの浮世絵と同じ。むしろ彫りや摺りの技術が進歩しているため、江戸時代の浮世絵より高い品質の作品は少なくありません。ただ、これまでの浮世絵研究では、ほとんど俎上にあがりませんでした。
今回は、東京では初めてといえる木版口絵の展覧会です。明治30年代後半から大正5年頃にかけて人気を二分していた鏑木清方と鰭崎英朋を軸に、それ以前に木版口絵で活躍していた水野年方、武内桂舟、富岡永洗、梶田半古の作品を紹介していきます。
まずは鏑木清方。後年は日本画で美人画の巨匠として確固たる地位を築きましたが、活動の初期は挿絵画家でした。清楚な美人の表現は、後の日本画にも通じます。
すっきりとした清方の美人に対し、鰭崎英朋が描く美人は、とても妖艶です。特に目元の表現が特徴的で、現代の感覚なら英朋の方が美人と言えるかもしれません。両者はともに月岡芳年の孫弟子、美術団体「烏合会」に属していた友人でもありました。
ただ、清方が日本画家として評価を得たのに対して、英朋は挿絵画家としての仕事を続けました。技量の差ではなく舞台の違いによって、現在の知名度の差がついたといえるでしょう。
両者は木版口絵では第二世代にあたる絵師。次の4名が第一世代で、この時期が木版口絵の黄金時代でした。
水野年方は清方の師。2016年にも太田記念美術館で展覧会が行われました。月岡芳年に入門し、後継者と目されたほどの実力者で、早い時期から木版口絵でも活躍しましたが、数え43歳で早世してしまいました。
武内桂舟は、ミスター木版口絵といえる存在です。博文館の文芸誌『文芸倶楽部』では、最多の64点を桂舟が描いています。もとは陶器の絵付け職人でしたが、尾崎紅葉に目をかけられて挿絵画家に転身しました。
富岡永洗は「明治の歌麿」と言われた美人画の名手です。小林永濯に学び、挿絵や口絵で活躍しました。ただ、年方と同様に早世で、数え42歳で亡くなっています。
梶田半古は、前述の三人よりは少しだけ若く、明治生まれ。浮世絵師や南画家に入門するとともに、独学で菊池容斎『前賢故実』を学習しました。斬新なデザイン感覚で、挿絵や口絵に新風を吹き込みました。
展覧会は弥生美術館「もうひとつの歌川派?! 」展との連携企画。半券提示で割引になります。両展あわせてお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年2月19日 ]