真珠のジュエリーと聞いてイメージするのは、どんなものでしょうか?
シンプルなネックレスを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、本展を見終えた後にはガラッとイメージが変わり、多彩な美しさに魅了されてしまいます。
展示は、地下の第1会場、2階の第2会場とで大きくテーマが分かれています。
第1会場では、装身具、ジュエリーがいつ頃登場し、どのような時代背景を受けて製作されてきたか、海外の歴史をたどります。
もう一方の第2会場は、江戸時代までと明治以降では用途も価値も変わった、日本での真珠が紹介されています。
序章~4章(第1会場)
古代オリエントの遺跡から出土した耳飾りや首飾りに使われていたほど、真珠は古くから宝石として珍重されていました。
《耳飾り「イルカ」》3世紀 パキスタン ミキモト真珠島 真珠博物館
近世ヨーロッパになると、コロンブスがアメリカ大陸で真珠を発見したことで流通量が増え、富と権力の象徴として王侯貴族が身につけるようになり黄金期を迎えます。
《モーニングスライド「ハート」》1700年頃 イギリス ミキモト真珠島 真珠博物館
近代に入ると、素材・デザインが多様化します。
シードパールといわれる芥子の実ほどの小さい真珠を、シロチョウ貝の台座に留めて立体的に仕立てた作りに惹かれました。
真珠ひと粒は小さいながらもふんだんに使用されることで、優雅さと可憐さを感じました。
《シードパールブローチ》19世紀初期 イギリス 穐葉アンティークジュウリー美術館
アール・ヌーヴォーらしさが光るデザインにも、特徴ある使われ方がされています。
《パール&ゴールドペンダントネックレス》ウォルファース兄弟商会 1900年頃 ベルギー ミキモト真珠島 真珠博物館
5章~7章(第2会場)
明治以前の日本では薬や輸出品にされることが多かったため、遺物として現存している真珠は少ないそうです。
そんな中、日本最古の縄文真珠(別名トリハマ・パール)が展示されていました。
天然真珠としては大きく存在感があり、当時どのようにに扱われたか想像をかきたてられます。
《縄文真珠(別名:トリハマ・パール)》鳥浜貝塚出土 縄文時代前期 福井県立若狭歴史博物館
明治になり、御木本幸吉が真珠の養殖に成功したことで、日本でも真珠の装身具が製作されるようになります。
御木本は質の高い真珠を養殖しただけでなく、ヨーロッパ最先端のデザインを取り入れ、製造から販売まで自社で手掛けました。
和装に合わせた帯留は、今なおモダンなデザインと感じました。
《帯留「構成派」》ミキモト装身具 図案1927年、製作1993年 ミキモト真珠島 真珠博物館
《帯留「流水」》御木本真珠店 1927-30年 ミキモト真珠島 真珠博物館
日本では、ジュエリーを常設展示している美術館が少ないため、纏まった数を見られる貴重な機会となっています。
美術館に行けない日々が続いた後だからこそ、美しさは心の栄養として必要だとも思いました。
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