李参平が佐賀県有田町の泉山で陶石を発見し、焼成に成功した事から始まったとされている、日本の磁器。この説は近年の研究では疑問視されていますが、1610年代に肥前で磁器が作られていた事は確実です。
草創期の肥前磁器は、小さな高台、おおらかな絵付けなどが特徴。1640年代になると、明朝の滅亡を受けて多くの中国人陶工が渡来し、色絵などの高度な技術が伝わりました。初代柿右衛門も、長崎で中国人から色絵の技術を習ったと伝わります。
会場入口から中国からの技術を受けて、肥前磁器の品質は格段に向上。素地は純白に、染付も安定した発色となり、形も歪みが無くなります。
初期伊万里は中国磁器を写したものでしたが、技術の発展にともなって、文様や器形も和様化。中国の陶磁には見られない意匠が見られるようになります。
そして、肥前磁器は徐々に海外へ進出。1659年にはオランダ東インド会社が肥前磁器の本格的な輸出を始め、1671年には8万5千個も輸出されたという記録が残っています。
展示室1展示室2では鍋島を紹介。鍋島は、鍋島藩直営の窯で生産されていた高級磁器で、将軍家や諸大名への贈答品としても用いられました、
五寸皿・七寸皿・尺皿など、寸法と器形が定まった皿類が多い鍋島。色絵や青磁もありますが基本は染付で、高い格調を持ちながら、表面には斬新な構図の文様、裏面には牡丹唐草文などが規則的に配されています。幕末まで生産されました。
展示室2は鍋島本展の開幕にあわせ、仏教美術を紹介している展示室3も展示替え。奈良・興福寺が所蔵する重要文化財・梵天立像が、根津美術館の帝釈天立像と並んで紹介されています。
長い歴史を有する興福寺は度重なる罹災に加え、明治の廃仏毀釈で荒廃。多くの寺宝が寺外に流失しており、そのひとつが根津美術館の帝釈天立像。つまり、両像はもともと同じ興福寺にあったもので、実に112年ぶりに同じ空間での展示となりました。
展示室の入り口側、向かって右側が興福寺蔵の《梵天立像》、奥が根津美術館蔵の《帝釈天立像》。仏教の守護神である梵天と帝釈天は一対で表現される事が多く、ようやく本来の姿が実現した事になります。両作ともに、慶派の仏師・定慶の鎌倉時代の作と伝わります。
>「再会-興福寺の梵天・帝釈天」「染付誕生400年」展にあわせ、美術館庭園内の茶室では、1月20日以降の毎週金・土・日に現代作家6名による磁器作品も展示されています。古美術の展覧会が多い根津美術館で、現代作家の作品が展示されるのは極めて異例。17世紀から続く磁器の流れをお楽しみいただけると思います。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年1月6日 ]■染付誕生400年 に関するツイート