川端龍子は1885年生まれ。画家としての初期は洋画を描いており、生活の為に本や雑誌の挿絵なども描きました。洋画家としてはなかなか芽が出ず日本画に転向しますが、後の作品に洋画の影響は色濃く見られます。
本展では教師からの評価が書きこまれた学生時代の作品や、挿絵を手がけた雑誌など初期の作品から代表作まで、川端龍子の画業を総覧することができます。
第1章 龍子誕生―洋画、挿絵、そして日本画―龍子の日本画は、従来の「床の間芸術」に対し「会場芸術」と呼ばれ、批判されました。その名の通り、龍子の作品は従来の日本画の概念を超えた、大胆さを持っています。
《鳴門》は、荒々しい鳴門のうずを描いた屏風。高価な群青の絵の具を約3.6キロも使ったという画面を埋め尽す波の表現は力強く圧倒的ですが、龍子はこれを描くにあたって、鳴門の海を一度も見たことはなかったそうです。
会場一番奥に展示された《香炉峰》は、横幅7mを超える大作。大画面いっぱいに描かれた偵察機、そして中国の雄大な大地を機体を透かして描くウィットにとんだ表現で描かれます。乗り込むパイロットは龍子自身。従軍画家として取材した際の体験が元になっています。
《鳴門》1929(昭和4)年 、《香炉峰》1939(昭和14)年 濃紺地に金で描かれた草花が美しい《草の実》は、奈良から平安時代に作られた紺紙金泥経を参考にした作品です。近付いて見ると、勢いのよい筆遣いで描かれたススキの葉の表現に目を奪われます。
《爆弾散華》は、終戦直後に描かれた作品。龍子の自宅は空襲で被弾、龍子は無事でしたが、使用人2人が亡くなりました。吹き飛ぶ野菜と散らされた金箔は、戦争で散った命を象徴的に描いています。
昭和8年に描かれた《龍巻》の大画面にリアルに描かれたさかさまの海の生き物たちは、まさに龍巻に巻き上げられた姿です。国際情勢の緊張を、海の姿を通して描いた4連作の1作目で、下絵段階では、上下は逆さまだったそう。
《草の実》1931(昭和6)年、《爆弾散華》1945(昭和20)年 、《龍巻》1933(昭和8)年 展覧会を一巡すると、この作品すべて同じ人が描いたとは信じがたい、と思うほどに多様な作品群に驚きます。日本画になじみのない方でも、きっとお気に入りに出会えるのではないでしょうか。
川端龍子を総覧する展覧会は2005年以来、12年ぶり。会期残りわずかとなりました。山種美術館恒例の浴衣割引も実施中です。ぜひお出かけください。
[ 取材・撮影・文:川田千沙 / 2016年6月24日 ]