
《觀音靈驗記》〈秩父順禮 三拾一番 鷲屈山 觀音院〉二代安藤広重・三代歌川豊国 江戸後期
西国三十三所、坂東三十三所、秩父三十四所の三つの観音順礼を合わせ、日本百観音巡礼と呼ばれています。その一つ秩父三十四所の一場面です。浮世絵には、葦毛の馬に乗った畠山重忠(鎌倉初期の武将)と、付き従う家臣・本多次郎親常が描かれ、その上部に細かく霊験記が書き込まれています。
意訳「秩父の重忠が夢のお告げに従って山へ狩りに行くと、樹上の鷲の巣に何かがいるのを見つけ、家臣の親常に矢で射掛けさせました。しかし、矢は全部当たるのに跳ね返ってしまいます。不思議に思って巣を降ろし見ると、中には光り輝く聖観音の像がありました。
昔この山には行基が作った観音像を祀る寺があったが、将門の乱で社寺が壊されたという古い語りもあり、『これはその観音さまに違いない』と重忠は強く信じ、急いでお堂を建立。以来、重忠の一族も観音さまを深く信仰し、その霊験ははっきりと人々に現れたといいます。
山の奥には、重忠が馬をつないだ場所や、家臣が放った矢の跡などの旧跡が今も多く残っています。」と記されています。