江見絹子は、兵庫県明石市に生まれ、第4回行動展(1949)に初入選、翌年の第5回展で奨励賞を受賞したのを機に上京、横浜市山手に居を定めます。第6回展(1951)で新人賞、第7回(1952)展で行動美術協会の最高賞である行動美術賞を受賞、1953年に会員となり、同協会の新進気鋭の女流画家として頭角を現します。1953年末から2年間、アメリカとフランスに滞在し、西洋絵画の伝統に触れ、また特にアルタミラとラスコーで先史時代の洞窟絵画を見たことによって、自分の芸術の方向を「抽象」に見出すようになります。
帰国後は、それまでの裸婦像を中心とする具象絵画にかわって、さまざまな様式の抽象絵画を展開します。第1回、第2回のシェル美術賞の連続受賞(1956、1958)に始まり、第12回女流画家協会展(1958)の毎日新聞社賞、第5回現代日本美術展(1962)の神奈川県立美術館賞などの受賞歴は、江見絹子の作品に対する高い評価を物語っています。また、第41回ピッツバーグ国際現代絵画彫刻展(1962)など、国外展覧会へも出品し旺盛な創造力を示します。
また江見絹子は美術の普及にも努め、1961年には会派を横断する神奈川県女流美術家協会を創立し、現在もその代表として後身の指導と地域芸術の発展に貢献しています。
1975年以降の江見絹子は、火、水、風、土の四大元素をモチーフに、それらを統合した宇宙的な空間を描こうとしています。美術館における最初の本格的な個展となる本展では、行動展への出品作品を中心に、鮮やかな色彩による抽象絵画を今日も描き続ける江見絹子の半世紀にわたる創造の全貌を、約60点の油彩画などによって明らかにします。