中でもこの伝藤原光能像は位置づけが曖昧で、藤原光能という名も、根拠となる史料と画像自体の結びつきには確実な根拠がありません。江戸時代初期の神護寺の宝物目録や幕末に刊行された古美術品の集成図から、江戸時代を通してこの画像が藤原成範というまったく別の人物として認識されていたことも指摘されています。唯一、確実な情報としては、画像そのものしかないのが現状です。
では、画像そのものはというと、伝来情報の揺らぎとは裏腹に、揺るぎのないしっかりとした造形で、日本の肖像画の歴史の中で質と規模の両面において傑出した作品といえるものです。縦143.0センチメートル、横111.6センチメートル。ほぼ等身像を描き出す大画面。通常これだけの大きさの画面の場合、絵絹を複数継いで用いるところ、この画像は一枚の絵絹に描かれています。僧侶像や天皇像以外の俗人の肖像画でこれほど大きく、しかも一枚の絵絹に描かれたものは類を見ません。また、顔の繊細な描写と衣服の堂々とした描写も見事です。細井淡墨線で一本一本方向性をつけて丁寧に描かれた眉や髭、顔の柔らかな肉付きを表すためほんのりと施された朱の暈し。衣を象る、歯切れ良くためらいのない太くたっぷりとした輪郭線。その線を活かすように、線の中を彫塗り技法で少しのはみ出しもなく正確に塗り込められています。衣の白い部分に銀泥の暈しを施すおしゃれな感覚も見逃せません。
まずは、画像そのものとの対話を楽しむことから始めてみてください。そこを離れて真実はなく、さまざまな仮説推理もそこからしか出発できないのですから。
(沖松健次郎)