いきなりカッコつけたことを言いますが、アートって、世界の「ことわり」を映す鏡なのかもしれません。
そう思ったのは、「セカイノコトワリ―私たちの時代の美術」を体験したからです。 いまだに脳内はゆらゆらと揺れているけれど、その揺らぎの中で、「いま、ここ」をそっと浮かび上がらせてみようと思います。

京都国立近代美術館 正面の道路から撮影
「ここは、どこ?」
メインの展示は三階。美しい階段を上がった先に現れたのは、まさかの積み木でした。 「え、これ、作品ですよね?」と思わず足が止まります。 崩れることを前提に積まれた木のキューブたちが、時間の不確かさや、かたちあるものの儚さを語っているように感じました。

藤本由紀夫《ON THE EARTH》2000/2025 作家蔵
さらに進むと、空間の質感が一変します。
なんといっても、天井からはシャンデリア、足元には金色の床ですよ。その奥には、少女の連続写真のような作品が並んでいました。

手前から、石原友明《世界。》1996 作家蔵、小谷元彦《Phantom-Limb》1997 作家蔵
この空間を前に、不思議そうな顔をしていたのでしょう。「上を歩いてもいいですよ」と、監視員さんがそっと教えてくださいました。
お言葉に甘えて、金色の床に足をのせてみると、ひんやりとした感触と、点字のポチポチ。 足の裏から、世界の見えなさに気づかされるようでした。

《世界。》手前に掲出された注意書き「こちらで靴をお脱ぎください」
「呼吸のリズムが、ずれるとき」
足元に気をつけながら、展示室をゆっくりと巡ります。ロの字型の会場に配置された作品たちは、互いに距離をとりながらも、どこか呼応しているように感じられました。

西條 茜《シーシュポスの柘榴》2025 作家蔵
ふと見上げると、ぶら下がっていたのは、あのマスク。
刺繍の糸が、コロナ禍の不安と、ほんの少しのユーモアを縫いつけているようでした。

青山 悟《喜びと恐れのマスク(Kissing)》2020 京都国立近代美術館
展示室を歩くうちに、呼吸のリズムが少しずつずらされていきます。 マスクの不織布に針、ぶら下げられた陶、そしてガラスや積み木。
アートたちが、私の「記憶」の輪郭を、そっと揺らしてくるのです。
「立ち止まる場所」
これは、夢に向かって上がるための階段でしょうか。 でも、三段しかありません。 絶望的な赤い壁には「彼女は労働する」の文字。

松井智惠《LABOUR-4》1993 国立国際美術館
気づけば、私は多様なお金を入れる箱に囲まれていました。 空洞の器に込められた問いかけ。
一見スッキリとした作品なのに、なぜか息苦しさを覚えます。

笠原恵実子《OFFERING-Marina》2005 作家蔵
「カーテン一枚の世界で」
揺れるカーテンのような作品。 でも、その薄い布には、過ぎ去った誰かの記憶が縫いとめられていました。 空港のざわめきと、その奥に潜む危うさが、静かに漂っているようでした。

奥、竹村 京《Floating on the River》2021 京都国立近代美術館
小さな地球が、可愛らしく包まれていました。
それは修復された貯金箱だそうですが、割れたまま、元には戻らないようです。

竹村 京《修復された地球儀の貯金箱》2002–2021 京都国立近代美術館
展示をめぐるうちに、私の足場は少しずつ崩れていきました。 そして気づけば、自分の立ち位置に、そっと目印のテープを貼られたような心地がしていたのです。
いま、ここにいる、と。
[取材・撮影・文:入江玄(いりえ げん) / 2025年12月19日]