1965年の日韓国交正常化から60年。地理的にも文化的にも近接する日本と韓国は、複雑で重層的な関係を築いてきました。
約80年にわたるアートの歩みを、両国の美術館が共同でたどる大規模な展覧会が、横浜美術館で開催されています。アートを手がかりに、互いの姿と関係性を見つめ直します。

横浜美術館「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」会場入口
会場には50組を超える作家による約160点の作品が集結。日本と韓国、それぞれの社会状況や歴史的背景のもとで生まれた表現が、時代ごとに対話するように配置されています。
曺良奎(チョ・ヤンギュ 1928-?)は、日本統治下の朝鮮半島に生まれ、1948年に密航で日本へ渡った画家です。在日コリアンが多く暮らす地域で生活しながら制作を続け、公募展への出品を通じて画家としての道を歩みました。
家畜の飼育や倉庫番などの仕事をしながら描かれた作品には、生活の実感と社会の周縁に置かれた視点が刻まれています。1960年に朝鮮民主主義人民共和国へ渡り、しばらくは活動が確認されていますが、1968年以降の足跡は不明です。

(左から)曺良奎《密閉せる倉庫》1957 東京国立近代美術館 / 曺良奎《マンホール B》1958 宮城県美術館
世界的なビデオ・アーティスト、ナムジュン・パイク(白南準 1932-2006)は、日本統治下の京城(現在のソウル)に生まれました。日本で学び、東京大学卒業後はドイツ、アメリカへと活動の場を広げながら、日本の美術界とも深く関わります。
1960年代にはエンジニアの阿部修也と出会い、ロボティック・アートやビデオ・シンセサイザーなど革新的な作品を共同制作しました。ふたりの書簡からは、長年にわたる信頼関係がうかがえます。

(三点とも)安齊重男 1970年代美術記録写真集「ナムジュン・パイク 1978年5月 草月会館」1978 東京都現代美術館
1968年に開催された「韓国現代絵画展」は、国交正常化を背景に、日本で同時代の韓国美術を大規模に紹介した画期的な展覧会でした。この展覧会で本格的にデビューした李禹煥(1936-)は、蛍光色を用いた作品を発表し注目を集めます。
蛍光色によるハレーション効果は、キャンヴァスを超えて色が空間に広がる感覚を生み、「もの」と空間の関係を問う思考へとつながっていきました。後の「もの派」理論の萌芽が見られます。

李禹煥《風景(Ⅰ)(Ⅱ)》1968/2015 個人蔵(群馬県立近代美術館寄託)
1975年に東京画廊で開催された「韓国・五人の作家 五つのヒンセク〈白〉」展は、「白」というキーワードで紹介し当時の韓国絵画を紹介しました。
李東熀(1946-2013)や権寧禹(1926-2013)の作品は、素材や行為そのものに向き合い、存在と不在、時間と痕跡を静かに浮かび上がらせます。抽象表現を通じた対話が、国境を越えて共有されていきました。

(左から)李東熀《状況A》1974 国立現代美術館 / 権寧禹《74-9》1974 国立現代美術館
1981年には、ソウルで「日本現代美術展–70年代日本美術の動向」が開催され、日本の現代美術が韓国で大規模に紹介されました。両国の公的機関が連携した初の試みで、交流は一方向ではなく、相互的に展開していきました。
会場に展示されている菅木志雄(1944-)と彦坂尚嘉(1946-)の作品は、その展覧会で実際に展示された作品です。

彦坂尚嘉《PWP35 若葉》1980-81 東京都現代美術館 / 菅木志雄《AS FACTS》1980 東京都現代美術館
1990年代に入ると、美術界でも人的な「逆流」が生まれます。中村政人(1963-)は韓国政府の国費留学生として弘益大学に留学し、社会と美術の関係を問う活動を展開しました。
《トコヤマーク/ソウル》では、街中の記号を用い、国や文化によって意味が変容する不確実性を提示。韓国では2本以上のサインポールは風俗店の目印で、回転速度が速いほどサービスが濃厚という説もあります。美術館の枠を越え、社会へ介入する表現が示されています。

中村政人《トコヤマーク/ソウル》1992 個人蔵
イ・ブル(1964-)は、身体表現を通じて社会の抑圧やジェンダーを問い続けてきた作家です。やがて関心は身体と機械の境界へと広がり、サイボーグ・シリーズへと展開します。
理想と欠損、生と死のあわいを漂う作品は、日本のポップカルチャーとも共鳴しながら、普遍的な問いを投げかけています。

イ・ブル《サイボーグ W5》1999 国立現代美術館
富山妙子(1921-2021)は、日本の植民地支配と向き合い続けた画家です。1980年の光州民主化運動に応答し、版画作品を通じて連帯の意思を表明しました。
美術を社会的実践として捉えたその姿勢は、国境を越えた共感と抵抗の記録として、現在も強い意味を持っています。

富山妙子《光州のピエタ》1980 横浜美術館(坂田棗氏寄贈)
獄中でも創作を続けた李應魯(1904-1989)や、文学に着想を得て制作した朴仁景(1926-)の作品は、歴史の重みと個人の表現が交差する地点を示しています。
文字や行為の痕跡が重なり合う画面には、抑圧の時代を生き抜いた表現者の強靱な意志が刻まれています。

(左から)李應魯《構成(Composition)》1975 / 李應魯《群像》1984 / 朴仁景《市場に行く道》1985 いずれも国立現代美術館
高嶺格(1968-)は、在日コリアンのパートナーとの結婚式を題材に、個人の経験から社会の構造へと視点を広げる作品を発表しました。
写真とテキストで構成された作品は、国籍や家族、歴史をめぐる葛藤を静かに描き出し、私的な物語が社会的な問いへと変換されていく過程を示しています。

高嶺格《Baby Insa-dong》2004 個人蔵
日本と韓国のアートを「並べて見る」のではなく、交差し、影響し合ってきた関係として提示する本展。
近くて遠い隣国との歩みを振り返りながら、これからの関係を考えるための、静かで力強い場になっています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年12月5日 ]