
髙島野十郎《蝋燭》 大正時代(1912-16) 福岡県立美術館
髙島野十郎の名は、まだまだ知る人ぞ知るというか、髙島野十郎の作品も多くの人の目に触れてきたわけではありません。彼の画業が世に初めて知られたのは、死後約10年の昭和61(1986)年でした。
今展覧会は、没後50年という節目の年に、160点超の作品が一堂に会し、画家の全貌に迫る大回顧展です。まずは、髙島野十郎の絵に虚心で向き合い、彼の作品の魅力に触れることができるこの機会を大いに楽しみましょう。
髙島野十郎とはだれ?

髙島野十郎《絡子をかけたる自画像》大正9(1920)年 福岡県立美術館
髙島野十郎は、1890年、福岡県久留米市の酒造家の5男として生まれます。東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業後、独学の画家への道を選び、実家に戻ります。
生涯、独身を通し、また初期に「黒牛会」に所属しましたが、その後美術団体には所属せず、個展で作品を発表していました。40歳の時、アメリカを経て、ヨーロッパを訪れます。
今展覧会では、160点超の作品が展示されています。髙島野十郎といえば、「蝋燭」「月」が代表作として有名ですが、その他にも自画像や静物画、風景画が展示されています。

髙島野十郎《からすうり》昭和10(1935)年 福岡県立美術館
髙島野十郎は、細部にまでこだわった筆致で描きました。写実の極致を求めた作品を眺めれば眺めるだけ、浮かび上がる謎や作品の深遠な魅力が見るものに迫ります。
髙島野十郎の長兄は禅宗に帰依しており、野十郎自身、仏教への関心がとても強く、仏教はじめ、ひろく宗教を予感させる作品も多く描いています。

左:髙島野十郎《雨 法隆寺塔》昭和40(1965)年 個人蔵、右:《法隆寺塔》昭和33(1958)年 個人蔵
時代・人・旅・そして仏の心とともに
黒牛会以外のどんな美術団体にも属さなかった孤高の画家とはいえ、まったく同時代の美術の流れから断絶していたわけではありません。「孤高の画家」と呼ばれることもある野十郎ですが、日本の近代美術史を彩る画家の一人であることは間違いありません。
特に、同時代の日本の若い作家同様、ゴッホに大きな影響を受けました。

髙島野十郎《ひまわりとリンゴ》大正時代(1912-26)頃 個人蔵
荒く躍動的な筆致で描いたひまわりは、ゴッホへの憧憬が明らかであると同時に、ゴッホの作品にはひまわりとリンゴを組み合わせたものはないので、ひまわりの前に置かれたリンゴが野十郎の創意だと感じられます。

高島野十郎《夏雲》昭和23-34(1948-59)年 個人蔵
ヨーロッパ留学以外にも、日本全国を旅して風景画を描いています。特に、「道のある風景」が野十郎の風景画の特徴と言っても過言ではありません。道を歩く人もいない、どこか有名な場所でもない、そんな道のある風景は、見るものに「いつかどこかで見たような風景」と懐かしさを感じさせます。私もこの絵がとても好きです。

髙島野十郎《さくらんぼ》昭和31(1956)年頃 福岡県立美術館
髙島野十郎は多くの静物画も描いています。なかでもさくらんぼはたびたび描いています。色合いが微妙に異なるさくらんぼの配置に野十郎の意図が感じられます。
他の静物画でもいえることですが、ものの配置や明暗が念入りに計画されています。
大阪展のおすすめポイント
「没後50年 髙島野十郎展」は、昨年夏の千葉会場を皮切りに、福岡、愛知に続き、今回の大阪展です。その後、東京、栃木と引き継がれ、全国6か所を巡回します。

展示風景 没後50年 髙島野十郎展
大阪展の最後には、部屋全体を暗くした中に、「蝋燭」と「月」だけを集めた部屋が設けられています。照明を落とした部屋の中で見る「蝋燭」と「月」は、その神秘さが際立ちます。野十郎の作品世界に没入できる「光と闇」を演出した展示です。
さらに、今回の展覧会では、途中の展示替えがありません。どの日に行っても、何度行っても、髙島野十郎の作品に向き合えます。
そして、展覧会のお楽しみ、公式図録ですが、今回は、作品からインスパイアされて描き下ろされた又吉直樹の短編小説が収録されています。
他にも多くのオリジナルグッズが販売されています。やっぱりいろいろなものを買って帰るのが美術館巡りの楽しみです。
[ 取材・撮影・文:atsuko.s / 2026年3月25日 ]