800点以上の作品を残したゴッホの人生は37年。そのうち画家として活動したのは僅か10年であったことをご存知でしょうか。その短期間において画風は大きく変化します。この展覧会では、ゴッホだけでなく、画家同士が与えあった影響、そしてそれぞれの画家がどのように変容を遂げたのかを知ることができました。
ブルジョア階級出身のマネは、アカデミックに絵画を学びました。印象派を導きつつ、自身は当時の権威に挑戦し続けた画家です。
晩年に描かれたこの絵は、静物画でありながら納まりが悪く感じるほどの瑞々しさに溢れています。
800フランで売りに出したところ1000フランで買ってもらった購入者に「抜けていた1本を送ります」とアスパラ1本の絵を渡したそうです。

エドゥアール・マネ「アスパラガスの束」1880年
ミレーと言えば「落ち穂拾い」、「種まく人」。その印象とかけ離れた印象の作品を描いていたことに驚きました。艶やかで美しい一枚です。この時期の作品は、ドガも好んで収集していたとのことです。
その後、ミレーはフランス王政が倒れ民衆の力が増した時代に合わせるように農村の生活を描くようになりました。この時期の絵画はゴッホにも影響を与えています。

ジャン=フランソワ・ミレー「横たわる裸婦」1846-1847年
「印象派の代表格、モネ」ではありますが、本作が描かれた頃、モネは印象派展に出展せず、サロンに入選していました。それでも見る人が幸せな気持ちになるような空の光と川、大きな梅の木のきらめきは、印象派が取り入れた筆触分割の効果そのものです。この時期サロンで認められたことが、モネの生活を変えていきます。

クロード・モネ「ヴェトイユ上流、春の効果」1880年
ルノワールは一時期、印象派から離れて古典に回帰します。
人物画を多く描くルノワールにとって、背景と人物が溶けあってしまう筆触分割では、自身の求める表現ができず、試行錯誤を重ねました。
本作が「ルノワールらしい」と感じるのは、輪郭線を用いて背景と人物が一体化していないこと、印象派で見られる柔らかい光を併せ持つことが理由なのかもしれません。

ピエール=オーギュスト・ルノワール「横たわる裸婦」1890-1895年頃
前述の通り、農民画家としてのミレーに影響を受けたと言われているゴッホ。オランダ時代に描かれたこの作品も苦しい農村の生活を表すような暗い色調です。
ニューネンは農業に適した土地ではなかったと言われますが、うつむくような農民を包む大きく塗られた空の色にゴッホは少しばかりの希望を添えたように感じました。

フィンセント・ファン・ゴッホ「ニューネンの農家」1885年
本展覧会のタイトルにもあるゴッホの「跳ね橋」。
「ニューネンの農家」から僅か3年。画風は大きく明るく変わりました。 パリへ出てきたゴッホは印象派と出会い、より美しいと感じるものをそのままに表現したいと感じたのではないでしょうか。
「跳ね橋」は、パリからアルルに移った後に描き始めた連作であり、本作が最終の5作目です。このキャンバスに描かれた風景がゴッホの目に映ったものであったのかもしれません。

フィンセント・ファン・ゴッホ「跳ね橋」1888年
シニャックはモネの絵画を見て画家を志し、スーラとの出会いの後には点描画家としての技法の確立に取り組みます。交友があったゴッホにも影響を与えています。 並びあう色調の差が大きいのに少し離れて見てみると何の違和感もなく、華やかでどっしりとした印象です。

ポール・シニャック「カポ・ディ・ノリ」1898年
この展覧会は鑑賞の手助けとなる工夫が多くみられます。
・展示の並びが画家の生年順であり、美術史の流れを辿りやすい
・大き目のパネルで詳しい解説
・背景が垣間見える解説パネルと画家の年表が掲示

本展覧会では、一般(有料)チケット1枚につき、中小生1名を無料招待されています。(ただし、大人と同時入場に限る。中小生2人目からは通常料金)夏休みのお出かけにいかがでしょうか。
作品はすべて、ヴァルラフ=リヒャルツ美術館・コルブー財団蔵 Wallraf-Richartz-Museum & Fondation Corboud, Cologne Photo: © RBA, Cologne
[ 取材・撮影・文:カドタミキ / 2026年7月3日 ]