60年代半ばから斬新な店舗内装で注目を集め、家具やインテリアの分野で大活躍した倉俣史朗。急性心不全のため1991年に56歳で死去してから20年以上たちましたが、一昨年にも21_21 DESIGN SIGHTで「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」が開催されるなど、今なお多くのファンを惹きつける存在です。
家具やインテリアデザインなどの代表的な仕事を紹介するとともに、若き日の倉俣が影響を受けたもの、また親交があった美術家やデザイナーの作品なども紹介する本展。倉俣が目指したデザインの歩みを、多面的に探っていきます。
I章会場は、倉俣史朗の作品を紹介するI~IX章と、資料と関連作家を紹介するトピックスA~Hが交差しながら進んでいく、ちょっと変わった構成です。
来場者の関心を集めていたのは、プラスチックやガラスなど透明な素材を使った家具。重力から逃れ、浮遊する感覚を追い求めた倉俣ならではの感性が光ります。
III章冒頭でご紹介した《ミス ブランチ》は、映画「欲望という名の電車」の女主人公、ミス・ブランチ・デュボワから名づけられた椅子です。
デザインの機能は座りやすい、使いやすい、生産しやすいなどだけではなく、思想や精神性も含まれるべきであるという倉俣の考え方が結実した椅子。まるでオブジェのような佇まいですが、当の倉俣は家具をアートとして作ることには否定的でした。椅子についてもぎりぎりのところで座れることにこだわったと語っています。
《ミス ブランチ》はVI章で展示倉俣史朗がクラマタデザイン事務所を設立したのは1965年。仕事が拡大するにつれてスタッフ数も増え、倉俣から多くを学んで独立したデザイナーも数多くいます。
会場にはクラマタデザイン事務所出身者として沖健次、桑山秀康、近藤康夫、榎本文夫、五十嵐久枝、韓亜由美らの作品も並んでいます。
Topic H は「クラマタデザイン事務所の出身者たち」倉俣史朗が活躍していた時代は、バブル景気の最終期まで。当時と現在とではデザインを取り巻く環境も変わり、倉俣の時代には無かった素材やツールで普及したものも数多くあります(照明としてのLEDは一般的でなく、携帯電話もインターネットも無かったのです)。
もし存命だったら、79歳。そのデザインはどこに向かっていたのか、夢想してしまいます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年7月30日 ]