福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ

「福笑い」に、気が付きました?

日本にシュルレアリスムを紹介し、前衛美術運動のリーダーとして活躍した福沢一郎(1898-1992)。戦前・戦中・戦後と時代が大きく変わる中、常に社会に目を向けて、エスプリの効いた表現を発信し続けました。活動の軌跡を振り返る大規模展が東京国立近代美術館で開催中です。

  • 《美しき幻想は至る処にあり》1931年 岡山市立中央図書館
  • (左から)《人間嫌い》1928年 群馬県立近代美術館 / 《装へる女》1927年 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館
  • (左から)《煽動者》1931年 一般財団法人福沢一郎記念美術財団 / 《科学美を盲目にする》1930年 群馬県立近代美術館
  • 《牛》1936年 東京国立近代美術館
  • (左から)《女》1937年 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 / 《人》1936年 東京国立近代美術館
  • 《船舶兵基地出発》1945年 東京国立近代美術館(無期限貸与作品)
  • (左から)《敗戦群像》1948年 群馬県立近代美術館 / 《樹海》1948年 東京国立近代美術館
  • (左から)《あえぐ群集》1965年 / 《ビルの谷間》1965年 / 《プラカードを持つ女》1965年 / 《デモ》1965年 / 《ハーレム》1965年 すべて群馬県立近代美術館
  • (左から)《倭国大いに乱れる》1980年 / 《倭国内乱》1980年 ともに多摩美術大学美術館

東京国立近代美術館に馴染みがある方なら、ピンクの背景の《牛》に、見覚えがあると思います。その作者が、福沢一郎です。

冒頭でも書いたように、福沢一郎の紹介は「シュルレアリスト」が定番。ただ、本展ではその枠を外すのも狙いのひとつです。

福沢は群馬県富岡町(現:富岡市)生まれ。東京帝国大学(現:東京大学)に入学するも、大学にはほとんど行かず、朝倉文夫の下で彫刻を学びました。

1924年にパリに留学し、彫塑から絵画に転向。この年は、アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を著した年です。

ルーベンスを愛し、古典を学んでいた福沢も、マックス・エルンストのコラージュに出会い、シュルリアリスム的な作風に大きく転換しました。

1931年の第1回独立美術協会展にパリから出品し、日本の画壇を刺激した福沢。半年後に帰国し、シュルレアリスムの手法を用いながら、諷刺的な作品を発表します。

当時盛んだった共産主義と関係する作品もありますが、福沢自身は特定のイデオロギーに捉われていません。あくまで自由な立場からの社会批評を実践しました。



ただ、軍靴の響きが大きくなる時代。シュルレアリスムは共産主義との関係を疑われ、治安維持法違反の疑いで瀧口修造とともに検挙されてしまいます。

半年ほどで釈放されますが、その後は戦争に協力せざるを得なくなり「過去に於てシュールを私は取上げたが これは身を以て否定すべく取上げたものである」と、苦しい発言も強いられました。

戦後に活動を再開。ダンテ『神曲』の地獄篇を題材にした群像図や、中南米や米国への外遊から刺激を受けた作品も制作します。オイルショックをテーマにした直接的な作品も描いています。

1978年には文化功労者に、1991年には文化勲章を受賞した福沢。検挙された事がある文化勲章受章者は、あまり例がありません。翌年、94歳の生涯を閉じました。

なお、チラシの展覧会タイトルの文字が「福笑い」と読める事に、お気付きでしょうか。展覧会を担当した大谷省吾さん(東京国立近代美術館美術課長)いわく、パーツの組み合わせでイメージを作る福笑いは、福沢の作品にも通じるのでは、との事でした。

巡回はせず、東京国立近代美術館のみでの単館開催となります。

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年3月11日 ]

美術の窓 2019年 3月号美術の窓 2019年 3月号

生活の友社(編集)

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会期

2019年3月12日(火)~5月26日(日)