
《群馬図屏風》 雲谷等益 江戸時代(17世紀)
雲谷等益(1591-1644)は萩藩(山口県)の御用絵師・雲谷派の二代目。父である初代等顔は、毛利輝元より雪舟の旧居・雲谷軒と「四季山水図巻」(毛利博物館)とを拝領し、雪舟流の継承者としての立場を確立した。本図の「雪舟四代」との署名には雲谷派の自負が表れており、岩や樹木の描写にも雪舟画風がみられる。群馬図は等顔が得意とした画題で、複数の作例から李公麟「五馬図巻」(北宋時代、東京国立博物館)や龔開「駿骨図巻」(元時代、大阪市立美術館)の流れをくむ宋元画の図様を学んだことがうかがえる。等益は等顔画の姿態を参照しつつ、毛の模様を変えて装飾的に描いている。