1945~47(昭和20~22)年頃にかけて、豊島区要町に日本画劇株式会社(にほんがげきかぶしきがいしゃ)があり、区内で紙芝居の出版が行われていました。そのことは、要町の自宅を紙芝居の原画制作の場として提供していた澤登千明(さわのぼりちあき)氏のご遺族より、紙芝居原画、台本・草稿等を寄贈いただいたことで判明しました。
1937年、大日本画劇株式会社は荒川区三河島で創業しました。複数の街頭紙芝居業者が合流して組織され、街頭紙芝居(がいとうかみしばい)と印刷紙芝居(いんさつかみしばい)の双方を手がけました。当時の紙芝居は、街中で「紙芝居のおじさん」が飴や駄菓子などを売りながら演じる手描き一点ものの「街頭紙芝居」と、印刷により多数制作された、キリスト教布教のための福音紙芝居、幼稚園・学校などで演じられる幼稚園紙芝居や教育紙芝居の総称である「印刷紙芝居」の2つに分けられ、それぞれ専門に制作する業者が存在していました。そのような中で街頭・印刷双方を制作する大日本画劇は、稀有な存在だったといえます。しかし、1945年4月13日深夜から14日未明にかけて、豊島区・荒川区・北区を中心に襲った城北大空襲により社屋が焼けてしまいます。戦後間もなく豊島区で業務を再開し、日本画劇株式会社と改称しました。その後品川区へと移ったと考えられます。
終戦後の混乱の中で、どのような紙芝居が子どもたちに届けられたのでしょうか。この展示では、荒川区での大日本画劇株式会社時代を前史として、残された紙芝居資料をもとに、これまで知られてこなかった戦後の活動を辿っていきます。ひとつの紙芝居制作会社の変遷と残された紙芝居から、紙芝居文化とその時代を見つめることになれば幸いです。
また常設展示室では、紙芝居作品の原作者、画家として関わっていた豊島区ゆかりの作家に関連する資料もあわせて展示します。