オノ・ヨーコの名前を知らない人はまずいないでしょう。最も有名な日本人女性であるといわれてきた彼女については、日本中のあらゆる人がさまざまなイメージを抱いていると思います。50年代から活動を続けている優れた現代美術作家であり、平和運動家であり、そして世界一有名なロック・スターの妻であった彼女ですが、現在も最先端で活動を続けていることもあり、その芸術家としての活動を回顧的に網羅的に紹介する機会はあまりありませんでした。
この展覧会のタイトルは、1966年にロンドンのインディカ・ギャラリーで開催されたオノの個展に出品された作品≪天井の絵/イエス(YES)・ペインティング≫に、もとづいてつけられました。白いはしごの上野天井には額縁が取り付けられ、そこから吊り下げられた拡大鏡でのぞくと額縁の中に「YES」という文字があるというものでした。ビートルズのメンバーであったジョン・レノンがオノの個展を訪ね、この作品を見て「YES」という言葉を見て心を動かされ、オノとレノンが出会うきっかけになったというエピソードはよく知られています(本展覧会にも同じ作品が出品されますが、作品保護のため梯子をのぼっていただくことはできません。予めご了承ください)。
オノ・ヨーコは1933年に東京に生まれました。銀行家の家系出身の母とピアニストの父の間に生まれ、裕福で教養豊かな家庭で育ったオノは、日本とアメリカを行き来しながら育ち、1952年ニューヨークに移り住み大学に入学し、初め音楽や詩を学びました。古典的な芸術の訓練に飽き足らなかったオノは、やがて前衛的な芸術運動集団フルクサスに参加し、独自の芸術活動を始めます。
フルクサスは、反芸術をモットーとし、視覚芸術や音楽、文学などさまざまな要素を取り入れ、偶然の要素の介入と観客の参加によって成立するハプニングなどの手法により、伝統的な芸術の殻を打ち破ろうとしました。日常的な事物や偶然の出来事に美と芸術を見出すオノの活動は、国際的な芸術家集団であったフルクサスのなかでも東洋的な感性を示すものとして評価されます。詩や音楽や視覚芸術、映画やパフォーマンスなどといった多様なメディアによる作品を発表したオノは、1962年から1964年の間に一時帰国し、東京で日本の前衛芸術家たちとともに活動し、再びニューヨークへ移り、1966年に渡英し、レノンと出会います。1969年にレノンと結婚以降、前衛芸術家オノと Aロック・スターのレノンは、お互いを認め合いながら、音楽作品や≪ベッド・イン≫といったパフォーマンスなどで、数々の共同制作を行いました。レノンの没後も、オノは意欲的に活動を続け、さまざまな媒体や場所において作品を発表しています。