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レポート
生誕140年 中澤弘光展 -知られざる画家の軌跡-
そごう美術館(横浜駅東口 そごう横浜店 6階) | 神奈川県
名デザイナーでもあった、洋画壇の重鎮
明治から昭和期にかけて活躍した洋画家・中澤弘光(1874-1964)。官展などを舞台にした華々しい歩みはもとより、デザイナーとしての一面や、旅を愛した素顔など、その全貌に迫る企画展が、そごう美術館で開催中です。
(左から)《カフェの女》宮崎県立美術館蔵 / 《青き光》個人蔵
(左から)《少女静思》個人蔵 / 《裸婦》個人蔵
(左から)《花下月影》東京国立近代美術館蔵 / 《かきつばた》東京国立近代美術館蔵
(左から)《鶴の踊り》至峰堂画廊蔵 / 《蓮露》個人蔵
雑誌「中学世界」の表紙
「屋根と窓」掲載スケッチ
《静聴》都城市立美術館蔵 と、背景に描かれている雲母付き染織
(左から)《舞妓(手鏡を持つ)》個人蔵 / 《舞妓》個人蔵
1874(明治7)年、東京・芝で生まれた中澤。東京美術学校では黒田清輝に師事し、白馬会で活躍。文展には第1回展から出品、その後も官展には毎回のように出品し、後年には審査員にも選ばれました。戦後も意欲的に創作を続け、1957(昭和32)年には文化功労者に選ばれています。

展覧会は3章構成、まず第1章は「洋画家としての歩み」です。

会場入口には第1回文展に出品した《夏》。淡い色調で描かれた日傘の女性には、中澤の確かなデッサン力が見てとれます。奥に進むと、小舟の娘と天女を描いた大作《海苔とる娘》。西洋絵画のセイレーンは男を誘惑して海に引きずり込もうとしますが、こちらの天女は居眠りをする娘を母親のように温かく支えています。


第1章「洋画家としての歩み」

早くに両親を亡くし、祖母の元で育った中澤。祖母は信仰に篤く、和歌もたしなむなど教養があったため、中澤も幼い頃から国文学の素養を身につけていました。光明皇后が法華寺を建立する際に観音を見たという故事にちなんだ《おもいで》、坪内逍遥の戯曲「役の行者」を題材にした《誘惑》など、中澤の作品には物語から着想した大作も多く見られます。

1章中ほどにある《潮風》は、話題の一枚。長らく行方が分からなくなっていましたが、近年発見されてテレビ番組「なんでも鑑定団」で紹介されました。細部が描かれていないこともあって、耽美的なイメージが漂います。


第1章「洋画家としての歩み」

第2章は「デザイナー・中澤弘光の仕事」。印刷が発達して出版事業が盛んになると、多くの画家が本の装幀や挿絵を手掛けるようになりますが、中澤も優れたデザインを残しています。

1900(明治33)年、与謝野鉄幹が雑誌「明星」を創刊すると、中澤は口絵を担当。鉄幹の妻・与謝野晶子の装幀も数多く手がけ、晶子の大作「新訳源氏物語」では、全3巻4冊の装幀と挿絵を全て手掛けました。しかも、ここでは洋画家にもかかわらず源氏絵を描きました。


第2章「デザイナー・中澤弘光の仕事」

第3章は「回想の旅」。中澤は大変な旅好きで、青森から九州まで、著名な観光地だけでなく人里離れた山里や海沿いにも足を運び、日本の美を描きました。

旅先の京都で出会った舞妓は中澤の主要なモチーフとなり、土田麦僊と並んで「舞妓の画家」と称されるようになったほど。また温泉もお気に入りで、浴槽での女性像を描いたほか、田山花袋と共著で温泉のガイドブックまで刊行しています。

欧州や朝鮮、中国にも出かけ、骨董品も蒐集。中澤の絵画には、背景やモチーフに蒐集した品々が描かれている作品もあります。


第3章「回想の旅」

晩年まで創作の手を休めなかった中澤は、1964年に90歳で死去、没した年も、日展に遺作を出品しています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年9月17日 ]

TOKYO美術館 2014-2015

 

エイ出版社
¥ 1,026


■生誕140年 そごう美術館 に関するツイート


 
会場
会期
2014年9月12日(金)~10月13日(月)
会期終了
開館時間
10:00~20:00(入館は閉館の30分前まで)
※そごう横浜店の営業時間に準じる
休館日
そごう横浜店の休業日に準じる
住所
神奈川県横浜市西区高島2-18-1
電話 045-465-5515
公式サイト http://www.sogo-gogo.com/museum/
料金
大人 1000(800)円/大学・高校生 800(600)円/中学生以下無料
*( )内は前売および20名さま以上の団体料金
*障害者手帳をお持ちの方、およ
展覧会詳細 生誕140年 中澤弘光展 -知られざる画家の軌跡- 詳細情報
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