20世紀初頭のパリの街並みを詩情豊かに描いた画家、モーリス・ユトリロ(1883-1955)。アルコール依存症の治療をきっかけに絵筆をとり、母シュザンヌ・ヴァラドンらとの交流を通して独自の画風を築きました。
フランス国立近代美術館とユトリロ協会の協力により、初期から晩年に至る作品約70点と関連資料を紹介。「モンマニー時代」「白の時代」「色彩の時代」を軸に、その生涯と芸術の全貌を明らかにする大規模な回顧展が、SOMPO美術館で開催中です。

SOMPO美術館「モーリス・ユトリロ展」
第1章「モンマニー時代」では、ユトリロの初期作品を紹介します。モンマルトル生まれの彼は、母ヴァラドンの影響を受けて18歳から絵を描き始めました。治療の一環として始めた絵画でしたが、すぐに才能を示し、精力的に制作を続けます。
1905年頃からの「モンマニー時代」には、印象派、とくにシスレーやピサロの影響が見られます。モンマニーやモンマルトルの風景を明るい色彩で重ね描いた作品は、この時期ならではの特徴。画商の支援もないまま酒代を得るために安価に売られた絵は、純粋に「生きるための表現」でした。

第1章「モンマニー時代」
1920年代からユトリロの作品は日本でも紹介され、そのパリ風景は多くの人々を魅了しました。美術批評家であり画商の福島繁太郎は、その普及に大きな役割を果たします。彼の著書『エコール・ド・パリ』には大原美術館所蔵の《パリ郊外 ― サン=ドニ》が収録され、福島はユトリロを「渋い彩によって美しいハルモニーを作る画家」と評しました。
アーティゾン美術館蔵の《サン=ドニ運河》も福島を通じて1929年以前に日本に渡った作品です。石橋正二郎の初期コレクションに加わったこの絵は、1910年前後の「白の時代」直前に描かれたもので、ピサロの影響を色濃く伝えています。

(左から)モーリス・ユトリロ《パリ郊外 ― サン=ドニ》1910年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館 / モーリス・ユトリロ《サン=ドニ運河》1906-08年 石橋財団アーティゾン美術館
第2章は「白の時代」の誕生。1909年頃から、ユトリロは白を基調とした独自のマチエールを用い始めました。石膏や砂、時に鳥のフンまで混ぜ込んだ絵具はざらついた質感を生み、古びた壁や路地を幻想的に表現。灰色や黄味を帯びた白を巧みに使い分け、歪んだ透視図法の街並みに独特のリアリティを与えました。
失われゆくパリの姿を描いた作品は人々の心をつかみ、批評家や画商の支援のもと1910年代に人気を集めます。経済的安定を得たユトリロは旅先でも制作を続けましたが、療養所での治療を繰り返すほど体調は悪化。酒癖も悪化し、1915年頃に「白の時代」は停滞しますが、名声はさらに高まりました。

第2章「白の時代」
モンマルトルのキャバレー「ラパン・アジル」は、ユトリロが生涯にわたり繰り返し描いたモチーフです。展覧会では作品を並べることで、写実から記憶や感情を交えた詩的表現へと変化する過程が浮かび上がります。
「跳ね兎」を意味するこの店は、母ヴァラドンの知人フレデが経営していたことからユトリロ自身もしばしば訪れました。絵葉書をもとに描かれた多数のヴァリエーションでは、初期は印象派的な色彩の重なりが見られ、後年は透視図法を歪ませることで閉ざされた都市空間を生み出しています。こうした構図操作は孤独感を際立たせており、同時代のキュビスム的な試みとも呼応しています。

(左から)モーリス・ユトリロ《ラパン・アジル》1910年 パリ・ポンピドゥセンター/国立近代美術館・産業創造センター / モーリス・ユトリロ《ラパン・アジール》1913年頃 名古屋市美術館 / モーリス・ユトリロ《ラパン・アジール、モンマルトルのサン=ヴァンサン通り》1910-12年頃 八木ファインアート・コレクション
《「可愛い聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》は、くすんだ青空の下に白壁の小さな教会が静かに佇む作品です。人物の姿はなく、白を基調とした柔らかな色調とざらつくマチエールが澄んだ印象を生み出しています。
タイトルはヴァラドンの聖体拝領の日に夢に現れた少女に由来しますが、その姿は画面に描かれず、白い教会の姿に託されています。

モーリス・ユトリロ《「可愛い聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》1912年頃 八木ファインアート・コレクション
第一次世界大戦中、ユトリロは「白の時代」から硬い輪郭線と鮮やかな色彩が際立つ「色彩の時代」へと移行しました。1920年代にはボージョレ地方に移り、絵葉書や記憶をもとに街角や地方風景を描き、輪郭線と原色に近い色彩による記号化された表現を確立します。
作品は好評を博し、1928年にレジオン=ドヌール勲章を受章。1935年に結婚後は穏やかな生活に入り、1940年代以降は映画出演も果たして国民的画家として愛されました。

第3章「色彩の時代」
1935年、ヴァラドンが病に伏した頃、ユトリロはベルギーの銀行家未亡人リュシー・ポーウェルの仲介で結婚します。二人はフランス・アングレームに落ち着き、平穏な生活を送りました。ユトリロ51歳の時のことです。
結婚の年に描かれた《シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂》では、明るく力強い画面が展開されます。平面的な空と垂直に立つ教会のファサードには、「色彩の時代」の鮮やかな色彩と、プリミティブな描写が巧みに詰め込まれています。

モーリス・ユトリロ《シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂》1935年 公益財団法人ひろしま美術館
街並みの記憶と孤独を重ね合わせるようにして、独自の世界を築いたユトリロ。画業の変遷をたどりながら、彼が描き続けた「パリ」の姿を楽しめる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年9月19日 ]
© Hélène Bruneau 2025