1950年代から1960年代にかけて、日本の女性美術家たちは、海外から流入した抽象芸術運動「アンフォルメル」に呼応し、美術界で一定の注目を集めました。しかし、その後「アクション・ペインティング」という男性性と親密な様式概念が前景化するにつれ、彼女たちの多くは次第に語られなくなっていきます。
本展「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」は、そうした女性美術家の創作をジェンダー研究の視点から捉え直す試みです。「アクション」が支配的だった時代に、異なる態度や表現で応答した14名の作家の軌跡を紹介します。

ここでは数名の作家を取り上げ、時代や環境の制約の中で、どのように独自の制作を切り拓いていったのかに注目しながら見ていきます。
榎本和子(1930-2019)は1950年代初頭から画面上での技法的実験を重ね、シュルレアリスム的なイメージを探求。阿部展也や瀧口修造との出会いを通じ、戦後前衛美術の動向と深く関わりながら制作を展開しています。
1964年には批評家の東野芳明と結婚。1970年の離婚後は、数理研究への関心を軸に活動しました。

(左から)榎本和子《断面(1)》1951年 板橋区立美術館 / 榎本和子《停止からの出発》1952年 東京都現代美術館
白髪富士子(1928-2015)は20歳で白髪一雄と結婚。一雄の制作を間近で見ながら、1955年に一雄とともに具体美術協会に参加し、和紙やガラスなどを用いた作品を発表しました。
一雄の活動が多忙になるにつれ、自ら制作を中断。作家としての活動期間は限られていたものの、その作品は具体における女性表現の重要な一側面を示しています。

(左から)白髮富士子《作品 No.1》1961年 高松市美術館 / 白髪富士子《白い板》1955/1985年 兵庫県立美術館(山村コレクション)
田中敦子(1932-2005)は、具体美術協会を代表する作家の一人です。電球とコードで構成された《電気服》を起点に、身体性と視覚効果を融合させた表現で国際的な評価を得ました。
絵画へと展開したその仕事は、ミシェル・タピエにも高く評価され、欧米の展覧会にも多数参加。具体退会後も制作を続け、色彩とリズムに満ちた独自の抽象表現を深化させました。

(左奥から)田中敦子《作品》1957年 奈良県立美術館 / 田中敦子《作品》1959年 兵庫県立美術館 / 田中敦子《Work 1963 B》1963年 豊田市美術館 / 田中敦子《作品 66-SA》1966年 東京国立近代美術館 ©Kanayama Akira and Tanaka Atsuko Association
多田美波(1924-2014)は、金属素材を用いた造形で知られています。1960年代以降、アルミニウムによる光の効果を追求し、彫刻と空間の関係を探る作品を発表しました。
彫刻にとどまらず、照明デザインやレリーフによる空間造形など、公共空間での仕事も数多く手がけています。美術とデザインを横断する活動は、当時としては先駆的なものでした。

多田美波《周波数37303030MC》1963年 東京国立近代美術館
展覧会のメインビジュアルは、山崎つる子(1925-2019)の作品です。具体美術協会の結成初期から参加し、金属やビニールといった素材による立体や、鮮烈な色彩の絵画を制作しました。
具体解散後も制作を続け、具象的なモチーフを取り入れながらも、一貫して力強い色彩表現を追求しました。

山崎つる子《作品》1964年 芦屋市立美術博物館 © Estate of Tsuruko Yamazaki, courtesy of LADS Gallery, Osaka and Take Ninagawa, Tokyo
九州を拠点に活動した田部光子(1933-2024)は、「九州派」の中でも特異な存在でした。社会運動や妊娠といった自身の経験を作品化し、生活者の視点から鋭い問いを投げかけています。
《プラカード》や《人口胎盤》に代表される表現は、当時の美術界において異色でありながら、強い存在感を放ちました。

田部光子《繁殖する(1)》1958-88年 福岡市美術館
最後に紹介する江見絹子(1923-2015)は、国内外で活躍した抽象画家です。洞窟壁画との出会いを契機に、絵画の根源を問いながら抽象へと向かいました。
1962年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、日本代表として出品した初の女性美術家となり、国際的な評価を確立します。1970年代以降は四大元素をモチーフに、抽象表現をさらに深化させました。

(左から)江見絹子《作品R》1960年 国立国際美術館 / 江見絹子《作品》1961年 奈良県立美術館 / 江見絹子《渕(Abyss)》1960年 奈良県立美術館
これまで美術史の陰に置かれがちだった女性美術家たちの表現を、改めて現在に引き寄せる展覧会です。多様な応答と挑戦の積み重ねを通じて、戦後美術の見え方が更新されていくようです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年12月15日 ]