日本の近代美術は、特定の作家や作品だけでなく、創作の場となった「街」との関係の中で育まれてきました。その代表的な舞台の一つが新宿。都市の発展とともに、多様な芸術家が集い、交流し、新たな表現を生み出してきました。
SOMPO美術館で開催中の「モダンアートの街・新宿」展では、中村彝、佐伯祐三、松本竣介、阿部展也、宮脇愛子ら、新宿ゆかりの作家約40名を紹介します。

SOMPO美術館
1909(明治42)年、相馬愛蔵・黒光夫妻は新宿に中村屋本店を構えました。中村屋には荻原守衛(碌山)や中村彝ら多くの新進芸術家が集い、「中村屋サロン」と呼ばれる交流の場が形成されます。
中村彝は体調悪化などから下落合に転居。持病により外出が困難となった中村彝は、大きな窓を備えた下落合のアトリエで、静物画の探求を深化させていきました。

中村彝《カルピスの包み紙のある静物》1923年 茨城県近代美術館
1910(明治43)年に雑誌『白樺』が創刊。西洋美術をカラー図版で紹介する試みは、当時の日本に大きな衝撃を与えました。
有島生馬がロダンへ『白樺』と浮世絵を贈ったことをきっかけに、彫刻作品が白樺派にもたらされます。文学と美術が密接に結びつく環境が、新宿周辺で育まれていきました。

有島生馬《黒衣の女》1909年 SOMPO美術館
1921(大正10)年、白樺美術館第1回展で展示されたファン・ゴッホの《ひまわり》は、佐伯祐三に強い影響を与えました。ゴッホとの出会いは、佐伯の形成に欠かせない出来事でした。
大阪中之島美術館が所蔵する《立てる自画像》は、全身像で描かれた異色の自画像です。平面的なシルエットと削り取られた表情に、画家としての自負と不安が交錯しています。

佐伯祐三《立てる自画像》1924年 大阪中之島美術館
昭和初期、新宿の姿は創作版画でも記録されました。『画集新宿』や『新東京百景』は、急速に変貌する都市東京を写し取った重要な版画集です。
織田一磨は日本創作版画協会を率い、震災復興期の東京を石版画で表現。新宿を主題とした作品群は、都市の記憶を静かに伝えています。

織田一磨《画集新宿》1930年 新宿歴史博物館
新宿・落合一帯には画家や文学者が集い、文化村として継承されました。隣接する池袋では、池袋モンパルナスと呼ばれる芸術家集団が形成されます。
松本竣介は池袋を拠点に活動し、のちに下落合にアトリエ「綜合工房」を構えました。松本竣介最大級の自画像である《立てる像》は、新宿が舞台。仁王立ちする姿は堂々としていますが、虚ろな眼差しが時代の不安を映し出します。

松本竣介《立てる像》1942年 神奈川県立近代美術館
寺田政明も池袋モンパルナスで松本竣介らと交流しました。その中でも早くからシュルレアリスムに関心を寄せ、独自の感性で制作を続けた作家として知られています。
《ひまわり》では、暗闇に浮かぶ花が誇張され、倒れ込むような迫力を見せます。一方で、平面的なカラスや家屋が絵本的な印象を与え、シュルレアリスムとメルヘンが交差する寺田ならではの表現が凝縮されています。

寺田政明《ひまわり》1950年 板橋区立美術館
阿部展也は下落合を拠点に瀧口修造らと交流し、実験工房の活動を通じてジャンル横断的な表現を展開しました。日本における初期シュルレアリスムの重要な担い手です。
《骨の歌》では、歪んだ身体表現を通じて戦後の不安と実験精神が示されています。同時期に生まれた写真とのコラボレーション作品にも、身体をめぐる鋭い視線がうかがえます。

阿部展也(芳文)《骨の歌》1950年 国立国際美術館
東郷青児の《超現実派の散歩》は、日本におけるシュルレアリスムの原点の一つとされる作品です。東郷自身が「散歩のつもりで超現実派の試運転をやった」と語るように、新たな表現への試みが込められています。
本展が開催されているSOMPO美術館は、1976(昭和51)年に東郷青児美術館として出発。本作に描かれた人物像は同館のシンボルマークにも採用され、館の歩みと理念を象徴する存在となっています。

東郷青児《超現実派の散歩》1929年 SOMPO美術館
作家たちの足跡をたどりながら、新宿という街が果たした役割を体感できる展覧会。都市と芸術が相互に影響し合ってきた歴史をあらためて浮かび上がらせます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年1月9日 ]