2026年、秋の京都に華やかな一大イベントが計画されています。
時は寛永3年(1626年9月6日)徳川将軍家の招きで後水尾天皇が二条城へ行幸されました。行幸とは天皇が御所からお出かけされることで、まして武家の元へ足を運ぶことは大変珍しいこと。これには徳川秀忠の娘・東福門院和子(まさこ)が後水尾天皇に嫁いだことが大きく関わりますが、朝廷と幕府の融和を見せた出来事だったのです。 それから丁度400年、京都府・京都市では二条城を中心に寛永行幸を振り返る「寛永行幸四百年祭」という企画を進めています。その連携事業として、この泉屋博古館での特別展をはじめ京都文化博物館や二条城展示収蔵館などが「寛永」を共通テーマとして同時期に展覧会を開催しています。

《二条城行幸図屏風》京都市指定文化財 六曲一双 江戸時代・17世紀 泉屋博古館
キービジュアルとなった泉屋博古館所蔵の六曲一双の屏風には寛永行幸の参列者や見物客併せてなんと3226人が細かく描かれており、当日の賑わう空気が伝わってきます。屏風絵を見ると、上下に区画されていて、上段の列は堀川通りを南下し二条城東門へ向かう左から右向きの進行、下段の列は中立売通りを東向きに内裏へ向かう進行を右から左向きに描いています。上段には公家衆や中宮和子(東福門院)の二頭立て牛車が先を行き、あとからの輿にのった後水尾天皇や付き人など公家衆の列が右端の鯱や破風に葵御紋のついた門へと進んでいます。
下段には
奉迎のために御所にむかう武家一団や二頭立て牛車の将軍家光が中心に描かれています。葵の御紋の装飾、馬の房飾りなど権力と優美さが強調されています。京都御所から二条城までは約2.6キロの距離ですが、その行列は朝から夕方まで続いたといいます。

行幸されたのは後水尾天皇 《後水尾法皇像》 京都府指定文化財 真敬法親王 江戸時代 京都法常寺 など展示風景

屏風にはみっちり3226人
といってもこの大きな屏風で人物を探すのは一苦労ですので、ロビーに展示されているデジタル高精細画像を先に見てお目当ての人物などを見つけてから屏風をご覧になることをお勧めします。
そして忘れてはいけないのが見物人や沿道のにぎわう風景です。町家や桟敷、緋毛氈で酒宴を楽しむ人々、僧侶や遊女の姿もあり皆このイベントを楽しんでいます。表情や着物の柄も様々で都の豊かさと平和さが感じられます。今も昔も同じ、目の前を通るパレードにワイワイガヤガヤと会話も弾み動きもリズミカルです。

二頭立て牛車は将軍

輿に乗って進むのが天皇
寛永行幸は屏風だけでなく絵巻物にも描かれました。また様々な記録にも残っています。『御行幸之次第』は木版印刷の絵巻で、たびたび再版・改呈され流布しました。
金地院崇伝による幕府公式記録『寛永行幸記』も写本や印刷本となって各所に所蔵されました。
『寛永行幸記』と『御行幸之次第』は、それぞれに相違点や特徴がありますが、実施よりさほど経過しない間に書かれ、行幸の様子を伝え残そうとしたことがわかります。

『御行幸之次第』 江戸時代 名古屋市蓬左文庫 行幸の様子を伝える絵巻

皇室に継承された御物の絵巻はパネルで紹介。ほかのいずれに資料よりも長大で、行列の詳細がわかりやすい

金地院崇伝による行幸記など展示風景 『寛永行幸記』 江戸時代 名古屋市蓬左文庫
今回の展覧会では寛永行幸に関連するもののほか、その時代の寛永文化を伝える逸品も出品されています。行列に参加した東福門院和子さまは器用な方だったのでしょう、端切れを貼り合わせて絵のように表現する「押絵」や「橙香合」など自らの創作品は美的センスとあふれる教養を示すものに思えます。また最古の十二単といわれる御装束も復興された宮廷文化を伝えるものとして貴重です。

《東福門院像》 京都市指定文化財 源秀飛 江戸・文政10年 京都光雲寺

唐衣裳装束 伝東福門院所用 京都府指定文化財(前期展示) 江戸時代 京都霊鑑寺

小袖を好まれた東福門院 白絖地扇文字の丸模様小袖屏風 江戸時代 国立歴史民俗博物館

可愛いご趣味も残ります 兎文橙香合 東福門院 江戸時代 徳川美術館
千宗旦や野々村仁清など寛永の文化芸術の代表として保存されてきた数々の名品も同時に鑑賞することができ、400年のタイムスリップをしたように楽しめます。 これから寛永文化をテーマとした企画が目白押しです。ゆかりの地をめぐることもお勧めです。行幸行列再現イベントも計画されていますので興味ある方は情報を探してみてはいかがでしょうか? 歴史の1ページを体験できるかもしれません。
[ 取材・撮影・文:ひろりん / 2026年9月4日 ]