愛知県の豊田市美術館で「櫃田伸也-通り過ぎた風景」展が始まりました。本展は、画家・櫃田の60年以上にわたる制作の足跡を、約120点の作品と初出を含む多数の資料で展望するものです。
本展タイトルの「通り過ぎた風景」という言葉は、櫃田の作品や個展のタイトルにも、よく使われています。1941年に東京で生まれた櫃田は、戦中・戦後の荒廃した東京の街を体験しています。1975年に愛知県立芸術大学に赴任してからは、大学周辺の開発の進む郊外の風景を体験しています。そのような身近な風景が櫃田の作品の出発点になっています。

美術館入口
櫃田の描く風景は実在の風景ではなく、記憶の中の断片化した風景を何層にもコラージュした、抽象と具象のあいまのような不思議な風景です。その作風は、櫃田が長らく教育者として関わった「教え子」にも強い影響を与えました。その中には、世界的に有名になった現代美術作家もいます。

アトリエのような展示空間
本展では、誰かを指導した櫃田ではなく、描き続ける画家、櫃田が見てきた風景と制作した絵画を展望し、見つめ直します。そうすることで、きっと新たな「風景」に関する考察が語られることでしょう。
なお、本展は他館への巡回はありません。会期は6月21日までなので、ぜひ、休日の訪問先に加えてください。
通り過ぎた風景
最初の展示室は、ベニヤ板や木製のブロックを使い、アトリエの様子を再現した現場感のある空間になっています。さすがに美術館なので、床はきれいな状態ですが、実際のアトリエでは、様々な色合いの絵の具が飛び散っていることでしょう。
1986年に制作された≪通り過ぎた風景≫は、画面の大部分を水色が覆い、重なり合う斜めの線が、こちら側と向こう側を隔てています。川の流れの様子なのか、左下の緑色の部分が、水草の塊のように思われ、斜めの線を超えて向こう側に流れていきそうです。その右隣りの≪不確かな風景≫を見ると、所々に配置された三角形が目立ちます。人工的な構築物が、自然の風景に入り込んできているのでしょうか。

左から ≪通り過ぎた風景≫ 1986、≪不確かな風景≫ 1987
1989年に制作された≪通り過ぎた風景≫は、二つの画面が左右でつなぎ合わされています。全体的に薄い茶色が広がり、土がむき出しになった広場のようです。左側の画面には、水色の部分があり、池なのか川なのか、水辺に近い様子です。
右側の画面には、緑色の部分があり、雑木なのか草地なのか、定かではありません。宅地開発により切り開かれた丘陵地で見かける風景に似ています。

≪通り過ぎた風景≫ 1989/2003 東京都現代美術館
展示室を移動する階段の途中に、≪通り過ぎた風景(三角形の空き地)≫があります。本作は、階段を上りながら眺めると「これから通り過ぎる風景」となり、上階のフロアに着くと「通り過ぎた風景」になります。展示場所にユーモアを感じます。

≪通り過ぎた風景(三角形の空き地)≫ 1988
1960年代から現在へ
造成地を思わせる茶色の強い作品に混じり、水色の印象的な作品が所々に出てきます。1991年に描かれた≪通り過ぎた風景≫を見ると、画面のほとんどを濃淡の異なる水色が埋めています。垂直方向の描線が見えるので、勢いよく落ちてくる滝の水のようにも見えます。避暑に出かけた旅先の土地で見た風景を描いたのでしょうか。

≪通り過ぎた風景≫ 1991-1993 愛知県美術館
1992年に描かれた≪通り過ぎた風景≫は、満々と水を湛えた湖の風景のようです。四方には大きな川が流れ、中央には小さな島が見えています。
少し先に進みます。2000年以降の作品を見ると≪方舟≫、≪舟≫、≪筏≫、≪箱≫、≪洪水≫、≪山水≫というタイトルの作品が出てきます。「風景」に比べると、かなり具体的に対象を表現する言葉が使われています。この時期、櫃田はどのようなことを考えて制作していたのでしょうか。
作品タイトルをキーワードに、勝手な想像を膨らませてみます。もしかすると、櫃田には多様化する表現の洪水の中を方舟で漂流し、たどり着いた先で、今までに描いたことのない山水の風景を描いてみたい、そういう気持ちがあったのでしょうか。

≪通り過ぎた風景≫ 1992/1993
現在も、櫃田の制作は続いています。2026年に描かれた≪池・周辺≫は、以前のように、色彩あふれる画面ではありませんが、穏やかな池のほとりを描いたようです。
抽象的な画面に広がる余白の中に、どのような風景を読み取ることができるでしょうか。それは作品を見る皆さんの想像力に託されていると思います。

≪池・周辺≫ 2026
コレクション展
櫃田展に関連し、いわゆる「教え子」にあたる奈良美智、小林孝亘、村瀬恭子、長谷川繁、森北伸、杉戸洋、小林耕平らの作品が展示されています。また、令和7年度に新しく収蔵されたゲルハルト・リヒターの≪8枚のガラス≫も展示されています。大きなガラスの正面に立つと、上向き、下向きに角度の付いたガラスに自分の姿が反射します。まるで分身の術のように重なり合う様子が、とても楽しいです。

手前、ゲルハルト・リヒター ≪8枚のガラス≫ 2012、奥側、ゲルハルト・リヒター ≪ムード≫ 2022
ミュージアムショップでは、「アンチ・アクション」展と「しないでおく、こと」展のアップサイクルバッグが並んでいます。美術館の庭園の方角から展示室に向かう途中、ショップの窓越しに見えた鮮やかなレモンイエローの色合いに目を惹かれました。
今なら、大、中、小の各サイズから選べるそうです。カタログやオリジナルグッズと一緒に見てみると楽しいと思います。

ミュージアムショップの店頭の様子
なお、掲載した写真は許可を得て撮影しています。
[ 取材・撮影・文:ひろ.すぎやま / 2026年4月3日 ]