印象派の先駆者として知られるウジェーヌ・ブーダンは、移ろう空気や光の表情をとらえることに生涯を捧げた画家です。
SOMPO美術館で、その画業を日本で約30年ぶりに本格的に紹介する回顧展が開催。海景画に加え、空、風景、建築、動物、人物、さらに素描までを通して、ブーダンの表現の広がりと制作の方法をたどります。

SOMPO美術館「ウジェーヌ・ブーダン展―瞬間の美学、光の探求」会場入口
第1章「海景」では、ブーダンが海景画家として歩みを固めていく過程をたどります。
ブーダンの故郷オンフルールの河口地帯は、湿った空気と変わりやすい天候で、光や水面の反射に対する感受性を育んだ土地でもありました。
パリで修業を経て、ノルマンディーの港町を拠点に制作を展開したブーダン。《海景》では、穏やかな水平線のもと、帆船と蒸気船が同じ海に置かれています。

ウジェーヌ・ブーダン《海景》1883年 ディエップ美術館
第2章「空」では、ブーダン芸術の核心ともいえる空の表現に焦点が当てられます。1859年のサロンで、ボードレールはいち早くその空の習作に注目。コローは「空の王者」と称えています。
《ル・クロワジック》は、晩年の作品。海と空のあいだに広がる鮮やかな青、散りばめられた雲、岩場の素早い筆致は、刻々と変わる自然の一瞬をとらえようとしたブーダンの表現がよく表れています。

ウジェーヌ・ブーダン《ル・クロワジック》1897年 アンドレ・マルロー近代美術館、ル・アーヴル
展覧会では、素描も重要な位置を占めています。ブーダンにとって素描は単なる下絵ではなく、対象の本質を理解し、空気や光の感触を呼び戻すための手段でした。
木炭、鉛筆、パステル、水彩と技法は変化し、晩年には線は最小限になり、空間と光が前面に出るようになります。印象派の画家たちがブーダンを先駆者と見た理由の一つもここにありました。

「素描 part 1」
第3章「風景」では、海辺だけでなく、ノルマンディーの内陸へ広がる自然に向けられた視線に目を向けます。若きブーダンはコローやバルビゾン派の画家たちに学び、自然と向き合う態度そのものを身につけました。
《トルーヴィル街道、ル・ビュタン近郊》では、オンフルールからトルーヴィルへ向かう街道沿いの風景が描かれています。白い帆のヨット、道を行く人や馬の影、河口へ開く水辺が真昼の光のもとで結びつけられています。

ウジェーヌ・ブーダン《トルーヴィル街道、ル・ビュタン近郊》1860-63年 ウジェーヌ・ブーダン美術館、オンフルール
第4章「建築」では、ブルターニュの聖堂や十字架、各地の風車、さらにヴェネツィアの建物など、ブーダンのもう一つの関心であった建築物を描いた作品が並びます。
《廃墟のラッセイ城》では、中世の城跡が劇的な遺構としてではなく、牛や羊が草を食む田園の一部として描かれています。建築もまた、光と大気の中に置かれています。

ウジェーヌ・ブーダン《廃墟のラッセイ城》1893年 ブーローニュ=シュル=メール市立美術館
第5章「動物」では、ノルマンディーの牧草地と結びついた牛のモティーフが取り上げられます。19世紀フランスでは、田舎への憧れとともに家畜を描いた風景画が人気を集め、ブーダンも独自の表現を深めていきました。
《水飲み場の牛の群れ》では、水辺へ集まる牛たちの動きが画面の骨格をつくっています。牛の形態は的確にとらえながらも、色面として簡潔に処理。ここでも主題となっているのは、光と大気の変化です。

ウジェーヌ・ブーダン《水飲み場の牛の群れ》1880年 ランス美術館
第6章「人物」では、人々への関心がたどられます。ただ、人物も単独の主題というより、空と光のもとに生きる存在として画面に置かれています。
《ドゥアルヌネ湾(フィニステール)のサンタンヌ=ラ=パリュのパルドン祭》は、1859年のサロンに出品された初期の重要作。ここにはすでに、風景と人物がつくる光景全体への関心が表れています。

ウジェーヌ・ブーダン《ドゥアルヌネ湾(フィニステール)のサンタンヌ=ラ=パリュのパルドン祭》1858年 アンドレ・マルロー近代美術館、ル・アーヴル
展覧会では、モネとの関係も紹介されています。1856年、ル・アーヴルで若きモネを戸外制作へ導いたのがブーダンでした。その実践は、のちの印象派の成立へとつながっていきました。
有名な海景画だけでは収まりきらない、ブーダンの全体像を示した本展。光と大気をとらえ続けたその眼差しは、印象派へとつながる表現の出発点として、あらためて位置づけられるでしょう。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年4月10日 ]