かなり西洋美術に詳しい方でも、カール・ヴァルザー(1877-1943)はご存じないかもしれません。20世紀前半のヨーロッパで活動し、絵画にとどまらず舞台美術や挿絵など幅広い分野で表現を展開した美術家です。
その全体像を約150点の作品によって日本で初めて本格的に紹介する回顧展が、東京ステーションギャラリーで開催。絵画、水彩、挿絵、日本滞在時の作品などを通して、世紀末的な感性と装飾性を併せ持つ独自の表現をたどります。

東京ステーションギャラリー「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照」会場入口
ヴァルザーはスイスに生まれ、ドイツを中心に活動を展開しました。装飾画や応用芸術の教育を受けた後、ベルリンで分離派の動向と接点を持ちながら画業を確立していきます。
同時に書籍デザインや挿絵の分野にも進出し、出版人カッシーラー兄弟との協働を通して活動の幅を広げました。絵画とグラフィックの領域を横断する表現は、初期から一貫して見られます。

1章「絵画と素描」
分離派は既成の美術制度から距離を置き、新たな表現を模索した芸術家たちの動きです。ミュンヘン、ウィーン、ベルリンと各地で展開され、近代美術の重要な潮流を形成しました。
ヴァルザーはベルリン分離派に参加し、その一員として活動を展開します。本展のメインビジュアルにも用いられている《婦人の肖像》は、初期の画風を示す作品として位置づけられています。

《婦人の肖像》1902年 ゴットフリート・ケラー財団(新ビール美術館寄託)
1908年の日本滞在は、ヴァルザーの制作に大きな転機をもたらしました。恋人が面前で自死したことをきっかけに鬱病に陥ったヴァルザーにとって、異文化体験は新たなモティーフと表現の契機となりました。
横浜、東京、京都など各地を巡り、歌舞伎や祭礼、街の風景を水彩や油彩で記録。現地の印象を即興的に捉えた作品群は、本展の重要な見どころとなっています。

2章「日本滞在」
ヴァルザーは、京都を題材に3点の大きな油彩画を制作しました。祇園祭や鴨川の納涼床といった都市の情景が描かれ、装飾性と観察性が交差する画面は、日本滞在の成果を示す代表的な作例です。
スケッチに基づく制作か現地制作かは定かでないものの、いずれも強い印象の持続を感じさせます。異文化との接触が表現に与えた影響が明確に示されています。

《歌舞伎の一場面(『壇浦兜軍記』より「阿古屋琴責」)》1908年 ゴットフリート・ケラー財団(新ビール美術館寄託)
挿絵と装幀の分野では、文学との密接な関係が展開されます。ヘルマン・ヘッセやトーマス・マンなどの作品を手がけ、物語世界を視覚化する独自の手法を確立しました。
ヴァルザーは詩や小説の内容に応答しつつ、軽やかな線と装飾的構成で画面を構築。書物という媒体を通じて、絵画とは異なる読解の場を提示しました。

3章「挿絵と装幀」
ひとつ下の弟、ローベルト・ヴァルザーとの協働も重要な位置を占めます。挿絵と文学が交差する制作は、兄弟の関係性とともに一つの創作領域を形づくりました。
後年には関係が悪化し、共同作業は途絶えます。両者とも没後は徐々に忘れられますが、ローベルトは1970年代以降に再評価が進んでいます。

3章「挿絵と装幀」
4章「舞台美術」では、演出家マックス・ラインハルトのもとで始まった舞台美術家としての活動と、帰国後の壁画制作までがたどられます。ヴァルザーは舞台装置の分野で評価を受け、近代演劇の視覚表現に関わりました。
1925年にスイスへ戻ってからは、住宅や公共建築の壁画・室内装飾が仕事の中心となります。絵画、舞台、建築を横断するその活動は晩年まで続き、1943年、ベルンで制作半ばのまま生涯を閉じました。

4章「舞台美術」
知られざるスイスの画家として長らく見過ごされてきた存在に、約150点という規模で光を当てる展覧会です。多面的な作品世界を通して、その表現の広がりを具体的にたどることができます。
東京ステーションギャラリー隣にはカフェも新たにオープンし、展覧会にあわせたコラボメニューも用意されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年4月17日 ]