ロン・ミュエク(1958-)は、極めて精巧な人体表現で知られる現代美術作家です。実物よりはるかに大きい、あるいは小さい人体彫刻は、現実感と違和感を同時に生み出し、人間の孤独や不安、存在そのものへの問いを浮かび上がらせます。
森美術館で開催中の本展は、2023年のパリでの開催を皮切りにミラノ、ソウルへ巡回し、東京では、同館とカルティエ現代美術財団との共催により開催。
日本初公開作品を含む、初期の代表作から近作まで11点を紹介するとともに、制作過程を記録した写真や映像もあわせて展示されています。

森美術館「ロン・ミュエク」会場入口
展覧会冒頭の作品《枝を持つ女》では、裸の女性が巨大な枝の束を抱え込もうとしています。枝は制御を拒むように広がり、身体には引っかき傷が残されています。
なぜ裸なのか、どこへ向かおうとしているのか。作品は具体的な説明を与えず、鑑賞者に解釈を委ねています。民話や寓話を思わせる光景でありながら、現実とも夢ともつかない曖昧さが漂います。

ロン・ミュエク《枝を持つ女》2009年 所蔵:カルティエ現代美術財団 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
《イン・ベッド》では、ベッドに横たわる女性が巨大なスケールで表現されています。日常の一場面でありながら、その存在は風景のように鑑賞者の前へ広がります。
頬杖をつきながら遠くを見つめる表情は、不安や憧れ、思索などさまざまな感情を想起させます。2006年に東京都現代美術館で開催された展覧会にも出品されており、日本でも知られた作品です。

ロン・ミュエク《イン・ベッド》2005年 所蔵:カルティエ現代美術財団 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
《若いカップル》は、寄り添う10代の男女を小さなスケールで表現した作品です。一見すると親密な恋人同士のように見えます。
しかし背後では、少年が少女の手首を強くつかんでいることに気づきます。穏やかに見えた場面は、一転して不穏な緊張を帯びていきます。

ロン・ミュエク《若いカップル》2013年 所蔵:ヤゲオ財団コレクション(台湾) 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年

ロン・ミュエク《若いカップル》2013年 所蔵:ヤゲオ財団コレクション(台湾) 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
《ゴースト》では、水着姿の少女が壁にもたれ、視線を避けるように立っています。実物以上に引き伸ばされた身体が、思春期特有のぎこちなさを強調しています。
拳を握りしめた姿には、自意識の芽生えによる戸惑いや不安がにじみます。巨大な身体表現によって、内面的な緊張感がより強く可視化されています。

ロン・ミュエク《ゴースト》1998/2014年 所蔵:ヤゲオ財団コレクション(台湾) 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
《エンジェル》は、ミュエク初期を代表する重要作です。翼を持つ天使像でありながら、その男性は疲れたような表情を浮かべています。
小さな身体と大きな翼の対比は、神聖さよりもむしろ人間的な弱さを感じさせます。使命を失った存在のようにも見えるその姿には、現代的な孤独感が漂っています。

ロン・ミュエク《エンジェル》1997年 個人蔵 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
《ダーク・プレイス》は、暗闇の中に中年男性の頭部だけが浮かび上がる作品です。展示空間そのものが作品の一部となっています。
鑑賞者は暗い入口から作品を見つめるしかなく、近づくことも回り込むこともできません。表情の細部よりも、沈黙や感情の重さそのものが強く意識されます。

ロン・ミュエク《ダーク・プレイス》2018年 所蔵:ZAMU(アムステルダム) 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
《チキン/マン》では、下着姿の高齢男性が、一羽の鶏と向き合っています。奇妙で滑稽にも見える光景ですが、両者の間には緊張感が漂います。
男性は前のめりになって身構え、鶏もまた警戒するようにこちらを見返しています。何が起きているのかは説明されませんが、沈黙のなかに不穏な物語が立ち上がります。

ロン・ミュエク《チキン/マン》2019年 所蔵:クライストチャーチ・アートギャラリー/テ・プナ・オ・ワイウェトゥ(ニュージーランド) 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
《マスクⅡ》は、眠る作家自身の顔を約4倍の大きさで再現した作品です。皮膚のたるみやわずかに開いた口元まで精密に作り込まれています。
一方で、背面は空洞となっており、極端なリアリティと仮面のような人工性が同時に存在しています。実像と虚構の境界を揺さぶる、ミュエクらしい作品です。

ロン・ミュエク《マスクⅡ》2002年 個人蔵 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
展覧会の最後を飾る《マス》は、100点の巨大な頭蓋骨の彫刻によって構成されたインスタレーションです。会場空間いっぱいに積み重なる光景は圧倒的な迫力を放っています。
よく見ると頭蓋骨は、それぞれ微妙に異なる形や色彩を持っています。匿名の集団でありながら個々の存在も感じさせる作品であり、死や集団、存在について根源的な問いを投げかけます。

ロン・ミュエク《マス》2016-2017年 所蔵:ビクトリア国立美術館(メルボルン)、2018年フェルトン遺贈 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
極度に写実的でありながら、決して単なる再現には留まらないロン・ミュエクの彫刻。巨大化や縮小によって知覚を揺さぶり、鑑賞者自身の身体感覚や感情に直接働きかけるような展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年4月28日 ]